砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet (角川文庫)

友達の死を若き日の勲章みたいに居酒屋で飲みながら憐情たっぷりに語る腐った大人にはなりたくない。
(桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」)

そうしてあなたも現実を肯定してしまうんですね。合点してしまうんですね。
(坂口尚「石の花」)

巷で話題の「まおゆう」をたった今、読了しました。な、長すぎる…。物語にメリハリがあまりなく、話がどんどん大きく広がるのは良いんですけど、その話がひたすら終わらず収束せず、起伏なしにだらだらだらだらと続くので、余計に長く感じました。読むのに2時間弱くらいかかったけど、体感時間だと5、6時間ぐらい読んでいた感じが…3ページ目くらいから既に『だらだらと長すぎる、早く終わってくれ!!』みたいな感じでしたね。詳しくは後述しますが、ネット上にあるテキストの中でも、読まなくていいテキストの筆頭だと思いました。

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」
http://maouyusya2828.web.fc2.com/matome01.html

読んだ感想としては、VIP・パー速系の創作の中で特に面白いとは思えないなあと…。まおゆうはVIPPERの創作の面白さであるはっちゃけぶりが足りない上に、作中で語られることも酷すぎる…。まおゆうは、VIP・パー速系の創作の中では「中の下」くらいの出来かなと。これより面白いVIPの創作はいくらでもあると思います。例えば、『 ( ^ω^)ブーンが悪魔召還プログラムをダウンロードしたようです。』なんかは、長さは同じくらいある気がしますけど、これは「まおゆう」とは逆に、読んでいて実に楽しくて時間を短く感じましたからね。VIPな創作の面白さは、三行ごとに笑えるはっちゃけぶりにあると僕は思うんですけど、まおゆうはそういう面白さが決定的に足りないと感じました。

( ^ω^)ブーンが悪魔召還プログラムをダウンロードしたようです。
http://yamba03.blog19.fc2.com/blog-entry-90.html
( ^ω^)「なんかよくわからないプログラムが入っているお」
 悪 魔 召 還 プ ロ グ ラ ム
(;^ω^)「こ、これは・・・・!」

( ^ω^)「8GBもあるお。でかすぎるから消すお。」

悪魔召喚プログラムがあっという間に消されてしまって吹きました。この後も、メガテンファンの度肝を抜くぶっ飛んだ展開の連続で読んでいて爆笑しましたね。ファンタジーRPG世界(フィクションの異世界)を更にパロディにした世界を描くなら、このくらいはっちゃけた方がいいと思います。

当たり前ですけど、ファンタジーRPG世界って、現実世界とは全然違う訳ですよ。何しろ、魔法とかモンスターとか謎のスーパーエネルギーとかがあって、一騎当千どころか、一騎百万みたいな、人間の限界を遥かに超えたスーパーマン英雄達がごろごろいるんですから、そりゃ現実世界と違うのは当たり前な訳です。まおゆうはそれを無理矢理、現実の経済論の位相に引き戻して語っていて、しかもそのやり方が酷いなあと感じましたね…。

まおゆうは、一言で纏めると、ファンタジーRPG世界を「自己責任論ネオリベ経済学」を語るための出汁にしているんですね。RPG好きとして、こういうのには乗れないなあと思いますね…。PRG世界の経済や秩序、人々の生活などの全ては現実世界とは全く違うものでしょう。現実世界では実現不可能なファクターが大量に入っているのですから。色々な制約に縛られた現実世界では不可能なことを可能にすることが、ファンタジーRPGの醍醐味だと思うのですね。魔法で空を飛んだり、一騎当千の英雄になって、平原を埋め尽くす大軍をばったばったとなぎ倒したり、全世界を揺るがす力を秘めた魔法の宝玉を手に入れたり、『ファンタジックな夢を叶えられる』のが、ファンタジーRPG世界の良さだと僕は思うんですね。

「まおゆう」はそういうRPGの良きところが全部、「自己責任論ネオリベ経済学」を語るために利用されるだけの道具に貶められていて、僕は、この話には乗れないなあと思いましたね…。強烈にネオリベラル経済学をプッシュする物語なので、ネオリベが大歓喜しているのも、いやになっちゃうなあと…。下記とかネオリベの人が如何にこの物語を支持しているか分かりやすいですね。

メイド姉が目指したモノ〜世界を支える責任を選ばれた人だけに押しつける卑怯な虫にはなりたくない!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100512/
物語は、農奴で悲惨な暮らしをしている二人の少女が、魔王と勇者の住もうとしている屋敷に逃げだしてくるところから始まります。

農奴の奴隷状態から逃げ出してきた二人のかわいそうな少女に、魔王の親友であるメイド長は「こんな虫けら、早く村に突き出しましょう!」と。

これは、正しい態度です。それは、2点から。一つは、魔王と勇者は、こうした悲惨なことがなくなるように「マクロ」のために立ち上がったわけであって、個々のミクロに関わっていては大局を見失う可能性が高く、また最後まで彼女たちを救うことができないのならば、むやみに手助けすべきではないのです。最後まで面倒を見れないのに捨て猫を拾うなと同じことです。

またいきなり「虫けら!」と吐き捨てるのは、強い倫理的な怒りがメイド長の中にはあります。どんなに悲惨であっても「自分の生活を自己の力によって改善しないものは」虫けらなんです。それを外部から助けることは、その奴隷の「人間としての動機と尊厳」を傷つけるだけであって、言い換えれば「ただ助けてくれ!」などというもの「実際具体的に戦う方法を見いだせないもの」は、虫けら=奴隷なのであって、「助けてくれ」などという他者に安全保障を委ねるような行為を叫ぶ時点で、そいつはどこまで行っても救う価値すらもない虫けらなんです!ということを、はっきり示しているんです。

開発経済学の分野でも、単なる援助が全体手マクロ的には、基本的に効果がないものであることは、もうはっきり分かっていることです。ようは「外部から助ける、助けを望む」という行為そのものが、自助努力を動機づける「人間としての尊厳」を壊してしまうのです、とはっきりここでは示しているんです。マクロ的には、そう単純じゃないとは思うんだけど、個人の内面でいえば、これは間違いなく正しい。「人間であろうとしないものは、人間足りえない」んです。

困っている人を冷酷に見捨てることを経済学を持ち出してひたすら正当化する理屈の羅列で、心底うんざりするとしか…。まおゆうはひたすら上記のような話、人々の冷酷な振る舞いをトンデモ経済学で正当化することで慰撫する話の連続なので、上記のような理屈に魅力を感じない僕のような人々は読む必要はないと思います。トンデモネオリベ経済論を使って、ひたすら社会的ダーウィニズムの有用性を述べ立てている物語と言っても差し支えありません。

マイスナー
「人間世界ではどうしても支配者と支配されるべき者があり、またあるべきだと私は思う。そうでなければこの地上は混沌のままだ。欲望によだれをたらした獣達がうごめく闇の世界に過ぎない。平等を認めたら、それは堕落だ、退化だ!!」

ヒトラー
「自然の営むことは強者が弱者に打ち勝つということだけである。さもなければ自然のうちにはただ衰退あるのみということになってしまったに違いない!力だけが支配する!力が第一原則である!!」
(坂口尚「石の花」)

「もう一度云います。自分の運命をつかめない存在は虫です。私は虫が嫌いです。大嫌いです。虫で居続けることに甘んじる人を人間だとは思いません」
(まおゆう)

まおゆうやまおゆうシンパと、ヒトラーやナチスシンパの言っていることは、大体において、そっくりそのまま(選民思想・優生学思想・社会的ダーウィニズム・普遍的人権に対する嫌悪、弱肉強食肯定etc)なのが、なんとも…。まおゆう好きが「我が闘争」を読んだら大喜びするであろうことを思うと、がっくりきますね…。

『実際具体的に戦う方法(まおゆう的には自身の経済的効率を合理的に最大化する方法)を見いだせないもの(経済的でない人間、まおゆうの世界の人間は経済効率で計られ、それが作中にて肯定されている)は虫けらであり処分しても構わない』というのは、このまおゆうの物語に強烈に通底しているモティーフでして、各人が経済的効率を最大化するように振舞うことで、経済格差が拡大するように見えても、実際は富のパイが拡大し、格差の下にいる人間も自然に富が再配分されて救われることになるという、竹中平蔵などのネオリベラルが主張したトリクルダウン論を物語の主軸に据えています。でも、トリクルダウン論って、現代経済において試行され、その結果、完全に失敗し、論の根拠を失った学説ですよ。

人間は富者も貧者も非合理的(非経済的)に行動するため、富を稼いだ人々に富の使い道を任せると、それは富を溜め込む(キャッシュフローを低下させる)方向に使われ、富の再配分の方向には使われない。結果、格差は大きく拡大し階級として固定化し、経済効率が低下する。この事態が実際に起きたことによって、人間の性向が非合理的・非経済的なものであること、極端な自己利益の最大化は経済の公平性を損ない、他者の幸福(経済の分配)とは背反するものであることが実例として明らかになったからです。富を再配分する(キャッシュフローを安定させる)には、普遍的人権を土台とした、最大多数の最大幸福を求める民主主義国家による財産権への介入、各人の公平性を担保する為に、富者の富の独占に対する財産権への介入が必要となるのです。

経済学者のジョセフ・E・スティグリッツやアマルティア・センは、『トリクルダウン論は実際の失敗により完全に意味を失ったが、いまだにこの幻想に支配されている人々がいる』『彼らに共通するのは、個人の財産権の過剰な保護、そして社会正義、環境、文化の多様性、医療分野でのユニバーサルアクセス、消費者保護などの、各人の基礎的な権利に対する軽視である』(スティグリッツ)『経済学を盾にして、各人の普遍的人権を侵害する論理を展開することは許されない』(アマルティア・セン)と、本作で描かれるタイプの経済学(ネオリベ経済学)を非常に手厳しく批判しています。先に取り上げたブログ主の思想や本作で描かれる思想よりも、僕はスティグリッツやアマルティア・センの考え方に信を起きますね。スティグリッツの「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」は読みやすく、まおゆうで描かれるネオリベ経済学の誤りを的確に指摘しており、お勧めです。

世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す
不平等の再検討―潜在能力と自由

誰の目からも明らかなように、途上国においては、情報は不完全であり、また、市場は不完備です。「そのような環境では、市場の失敗が非常に起こりやすいので、市場には限界がある」と経済学では訴えていたのです。にもかかわらず、IMFは「市場は完全なのだ」と市場を賛美し、市場原理主義の伝道を続けたのです。本当に奇妙なことが起こったと言わざるをえません。
(スティグリッツ「スティグリッツ早稲田大学講義録」)

まおゆうという物語は、人間のエンタイトルメント(自然権)を完全に無視しています。自助努力で自分を救わない人間を相手にしている暇はない!という思想が強烈に貫かれていますから。『「助けてくれ」などという他者に安全保障を委ねるような行為を叫ぶ時点で、そいつはどこまで行っても救う価値すらもない虫けらなんです!ということを、(まおゆうは)はっきり示しているんです。』という言葉通りです。

でも赤ん坊ってどの赤ん坊もみんな自助努力じゃ生きられませんよね。泣いて助けを求めないと生きられませんよね。先のブログ主とか、赤ん坊は人間じゃないから死ねと平気でいい放ちそうですが…。ほかにも、一人じゃとても生きられない環境(作中で「虫けらは死ね」と言われている農奴なんかもそうでしょう)に置かれた人も、助けてくれる人がいなかったら、生きられませんよね。まおゆうの最悪の特徴は、『助けてくれる人がいないと生きられない連中は死ね。世界は高貴なる超人により成り立つのである』という、全体に強烈な社会的ダーウィニズムの物語であり、それを無理やりファンタジーの仕掛けを使って肯定しているところです。

『助けてくれる人がいないと生きられない連中は死ね。』なんて、魔王とか勇者とか、人間を超えたチート超人連中はこの思想でも生きられるでしょうが、普通の人間は助け合って生きているわけで、助け合いがなければ生きられませんよ。ここで、まおゆうは、RPGのファンタジー性(キャラクターの超人ぶり)を、作中の論理である社会的ダーウィニズム・優生学思想に都合の良いように使っていて、僕はこういう都合のよい使い方は、ファンタジーRPGを冒涜している、ファンタジーの最悪最低の使い方だと思いますね…。

結局のところ、まおゆうという物語は、現代社会の非情さをひたすら肯定しているだけだと思います。ゆえに、自らの非情さに良心の咎めを感じている人々の心を慰撫し、その結果、一部の層に受けるのかなと。まおゆうに比べたら、ファンタジーRPGの、馬鹿っぽい設定で、馬鹿っぽい魔王を、馬鹿っぽい勇者が倒して世界を救う物語の方が無限大に良い物語ですよ。馬鹿っぽい話であっても、そこには、人々に対する共感や善意の無条件の肯定がある。まおゆうのように、経済の為に人間を痛めつけることを肯定する物語に比べたら、馬鹿っぽい話で善意を肯定する方が無限大にマシです。

まおゆうは、現実社会で助けを求める人々に対し、「自助努力の足りない虫けら」として切り捨てる非情な振る舞いをしている人々の心を、『これは経済学的に仕方ない行動であり、大局的に見れば正しいんだ』として慰撫する役目しか果たしていない。それによって一部に熱狂的に受けていますが…。先のブログ主とか、思い切り慰撫されていて、まおゆう支持者の典型ですね…。

僕は、まおゆうよりも、馬鹿っぽいRPGとか、真っ正直で愚直な物語が好きですね。自身の悪に言い訳して正当化するというのは、一番みっともなくて最悪な行いだと思います。僕は助けが必要な人を助けられなかったら辛いと感じますよ。まおゆう支持者の一部のように、その辛さから逃げて、『虫けらなぞ助けないことこそが経済的に正しい』などとのたまって、自身の悪を正当化することほど、最悪の悪はないと思いますね…。自身の悪の辛さと正面から向き合うことこそ、人間として生きる上で大切なことだと思います。そういったことを描いている物語は、希少ですが、僕にとって大切な物語ですね。

まおゆうは「助けを求めるな!助けを求めるやつは虫けら!」と述べて、支持されていますが、まおゆうを支持している人々は、助けを求めずに死んでしまう人々のことを思いはしないのでしょうか。助けを求めること、助けを必要としている人々のことを、助けられる人々が知るということが、どれだけ大切なことか、考えて欲しいと思います。先のブログ主のように、まおゆうを支持して「虫けらはさっさと死ね!」と叫び、ネオリベ経済学と自己責任論を万歳している冷酷無慈悲な人々も、人間のことをほんの少しでも共感を持って考えて欲しいと、心から思いますよ…。

「あの子、障害者手帳を持ってるの、知ってた?」
「…へっ?」
「あんた知ってるのかと思った。ほら、足を引きずって歩いているでしょ。もう、あれ目立つから有名じゃない。赤ちゃんの頃に凄く乱暴に扱われて、股間接が片方おかしくなっちゃったんだって。だからあの子、ちゃんと歩けないし、こう、足をぜんぜん広げられないのよ。体育の授業とか出ないんでしょ?」

母はストレッチの開脚みたいなポーズをしてみせながら話していた。あたしはぽかんとしてその姿を見ていて、それから藻屑と花名島と三人で出かけたとき……バスを降りるときに藻屑が運転手さんになにか手帳みたいなものを見せたことを思い出した。

あのときも藻屑は足を引きずりながらバスを降りようとしていて、あか抜けた美少女である藻屑が指し示したその手帳に運転手さんは衝撃を受けたような顔をしていて、藻屑が降りてくるのをぼーっと待っていたあたしと花名島を睨むと、こう怒鳴ったのだ。

<友達だろう!手伝ってやれ!>

あたしは唇を噛んだ。

誰にともなく、いいわけしたかった。

だって障害者だなんて知らなかったんだもん。わざとだと思ってたんだもん。嘘の海から嘘じゃないことをみつけるのは難しいよ。あたしはずっと、藻屑はただ人の注目を集めたくてやってるんだとばかり……。(中略)

「それに、片耳聞こえないし」

「そうなの……?」

「鼓膜が破れて聞こえなくなったんだって。だから左から声をかけても返事しないわよ。あのほら、映子ちゃん。あの子のおかあさんから今きいたんだけど。噂聞いて映子ちゃん、実験してみたんだって。ほかのお友達と。左からだとぜったいに振り向かないって。なにを言われても気づかないって。それで映子ちゃん、左側からずいぶんとひどいこと言ったらしいけど」

「…………」

あたしはバスタオルを洗濯機に入れるために立ち上がった。

何度も何度も、自分が藻屑に腹を立てたときのことを思い出した。(中略)

あたしは叫んだ。

「おにいちゃん!海野藻屑は死んじゃった!頭のおかしいおとうさんに、殺されちゃった!」(中略)

うつむいて頭を抱えている担任教師の足のあいだの床に、ぽとり、と大粒のなにかが落ちた。塩辛そうな涙だった。担任教師は、
「あっちはあっちで、動いてたんだ」

「……動いてたって。先生、どういうこと?」

あたしの震え声に、担任教師は顔を上げた。
悔しそうに顔を歪ませて、絞り出すように、
「噂もあったし、近所の人の通報もあった。児童相談所のほうと相談もしてたんだ。ただ、海野本人と話すと、父親のことを庇うもんだから、話が進まなくて」

ストックホルム症候群だ、まちがった脳の作用だ、とあたしは思った。

「だけど、保護する方向で動いてたんだ。俺は大人になって、教師になって、スーパーマンになったつもりだったから。山田のことでも、おまえに嫌われてもいいから、高校行けるようなんとかしてやろうって張り切ってたし。海野の家だってなんとかするつもりだった。ヒーローは必ず危機に間に合う。そういうふうになっている。だけどちがった。生徒が死ぬなんて」(中略)

今日もニュースでは繰り返し、子供が殺されている。どうやら世の中にはそう珍しくないことらしい、とあたしは気づく。生き残った子だけが、大人になる。あの日あの警察署の一室で先生はそうつぶやいたけれど、もしかしたら先生もかつてのサバイバーだったのかも知れない。生き残って大人になった先生は、今日も子供たちのために奔走し、時には成功し、時には間に合わず。そして自分のことについては沈黙を守っている。

あたしもそうなるのかも知れない。

あたしは、暴力も喪失も痛みもなにもなかったふりをしてつらっとしてある日大人になるだろう。友達の死を若き日の勲章みたいに居酒屋で飲みながら憐情たっぷりに語る腐った大人にはなりたくない。胸の中でどうにも整理できない事件をどうにもできないまま大人になる気がする。だけど13歳でここにいて周りには同じようなへっぽこ武器でぽこぽこへんなものを撃ちながら戦っている兵士たちがほかにもいて、生き残った子と死んじゃった子がいたことはけして忘れないと思う。

忘れない。

遠い日の戦死者名簿の中に、知らない土地の知らない子の名前とともに、ひっそりと、海野藻屑の名も漂っている。藻屑は親に殺されたんだ。愛して、慕って、愛情が返ってくるのを期待していた、ほんとの親に。

この世界ではときどきそういうことが起こる。砂糖でできた弾丸では子供は世界と戦えない。

あたしの魂は、それを知っている。
(桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」)

全くの余談ですが、バスの運転手さんに障害者手帳を見せたのは、障害者手帳を見せるとバス料金が割引になるんですね。僕も障害者手帳持っているので、この割引制度には助けられています。「まおゆう支持者」はこういう制度のことも「虫けらを助ける制度など廃止しろ!」と叫ぶだろうことを思うと、ぞっとしますね…。話を戻しますと、まおゆうはナチス政権などが極端な形で推し進めた「社会的ダーウィニズム・優生学」の物語であることを考えた方が良いです…。まおゆうの魔王&勇者って、坂口尚さんの「石の花」に出てくる歪んだ理想を抱いたナチスの将官マイスナーそっくりそのままじゃないですか…。社会的ダーウィニズム、優生学思想も、絶対的な傲慢も、弱肉強食軍事が上手くいかなければ、今度は弱肉強食経済だという考え方も、片っ端から同じですね…。高貴なる者達が人々を秩序によって支配する理想郷を示す「向こうの丘」の発想とか完全にマイスナー大佐そのもの…。

マイスナー
「話し合いから平和な世界国家を実現できるわけはないんだ!実現可能な方法はただ一つ。有無を言わせぬ巨きな力こそ、統一と調和を生み維持できるのだ!」

イヴァン
「では百歩下がって君が信念と理想に燃えた崇高な目的で戦っているとしよう。それならばあの十字軍のように人々の血を流しても構わないというのか!?」

マイスナー
「あれはしょせん縄張り争いだ。我々は違う!」

イヴァン
「もし目的が正しければ手段を正当化できるのか!?それこそ、客観的に判断できない神でない人間が、勝手に力の方法を正義だと言っていることじゃないか!」

マイスナー
「神でもない人間が勝手にものさしを作っているのは君の認める民主主義の中にも至るところにある。法律もそうだ。裁判所では人間が人間を裁いている。議会はどうだ、過半数を取り少数意見を切り捨てる数の暴力だ!」

イヴァン
「ああ…君はヒトラーがローマ帝国にならい、ビスマルクの『解決するのは鉄と血だけである』という言葉にならい、第三帝国の悪夢を見ているのと、同じ悪夢を見ているのだ!アレキサンダー大王やジンギスカンのように、征服欲にとりつかれた人間なのだ!!」(中略)

マイスナー
「自由はいっそ誰かに預けてしまった方が楽なのだ。ある国家に、ある宗教に、ある伝統に、ある慣習に。自ら問い、自ら悩み、自ら選ぶ自由より、ある権威に従ってしまった方が楽なのだ。(中略)人間は自由より何かの奴隷でいることの方がどんなにほっとするかもしれないのだ」

イヴァン
「ドイツ人の多くがナチスに良心を預けたように……」

マイスナー
「人間は……風の色を理解しようとせずとも生きられるんだよ……」

イヴァン
「しかし……しかし……………人間はふと……ほほにかすめる風にたずねてみたくなることもあるだろう。自分はなぜ生きているのか……なぜ……」

マイスナー
「人間は、このうつろい易い過ぎ去り行く世界で唯一絶対のものを求めたいのだ。自分を支えてくれる確かなものをな……だから、だからこの闇の地上に虹が必要なのだ。風は答えてくれぬ……力の虹、力で作った虹が答えるのだ。暗黒の中にかかり大地を照らす、それが人間に安らぎを与えるのだ……」

イヴァン
「風は、答えてくれないが、どこか、どこか未知から吹いてくる予感はする……」

マイスナー
「予感……予感か……そう思い続けるのも……自由だ……君なら、自由の重さに耐え抜いていけただろう……君なら……。イヴァン、君は私の心からの友人だった。(処刑されても)君のことは忘れないだろう……」(中略)

マイスナー
「私は世界に秩序を与え、真紅のバラに咲こうとする人間が、高貴を失わずに咲くことのできる丘を創りたいと思っているのだ……」

イヴァン
「そのために多くの人間の自由を奪うのか!」

マイスナー
「自由を捨てたがっているのはその多くの人間達じゃないか」
(坂口尚「石の花」)

最後にもう一つ余談ですが、まおゆうは作者の橙乃ままれさんと、ゲームデザイナーの桝田省治さんが、ネットから生まれた出版物ということを売りにして出版するそうで、穿ちすぎかも知れませんが、どうも最初から『第二の電車男』狙いでマスメディアでの宣伝と一緒に仕組まれていたような感じがしますね…。先に書いたように、まおゆうよりも面白いVIPPERの創作物は一杯あると思いますし、なぜ「まおゆう」が出版に向かっているのか、説明がつきません…。作者に直接出版オファーが来るというのも、VIPの創作では通常考えられない、おかしな話ですし…。まあ、マスメディアが「ネットから生まれた第二の電車男は経済学ファンタジー」として大々的に取り上げれば、非情なネオリベ経済論を肯定する内容とは別に、宣伝効果でベストセラーになることは確実に保証される訳で、なんだかなあって感じがしますね…。

「俺も…ほっぽり出しちまっていたんだ」

「そんなッ、ブランコ、あなたは大尉やカルとは違う!」「違います!」

「いいや、同じさ……いうなれば、この現実とやらを少々合点しはじめちまっていたんだ。やむなくだろうがなんだろうが、現実を認めてしまっているんだ。お前達は(様々な出来事の非情さに)合点できずにいる。抵抗している。それは、ほっぽり出しちゃいないってことだ。必死で格闘しているんだ」
(坂口尚「石の花」)

参考作品(amazon)
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet (角川文庫)
石の花(1)侵攻編 (講談社漫画文庫)
石の花(2)抵抗編 (講談社漫画文庫)
石の花(3)内乱編 (講談社漫画文庫)
石の花(4)激戦編 (講談社漫画文庫)
石の花(5)解放編 (講談社漫画文庫)
世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す
世界を不幸にしたグローバリズムの正体
スティグリッツ早稲田大学講義録 グローバリゼーション再考 (光文社新書)
不平等の再検討―潜在能力と自由
人間の安全保障 (集英社新書)
クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)
誘惑される意志 人はなぜ自滅的行動をするのか
真・女神転生 STRANGE JOURNEY(ストレンジ・ジャーニー)

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