Another
僕が昔から大好きなミステリ作家さん、大傑作ミステリシリーズ「館シリーズ」の著者である綾辻行人さんの久々の新刊「Another」の出版を記念して、昨日(2月4日)の朝日新聞夕刊に、綾辻行人さんのインタビュー記事が載っているので、引用してご紹介致します。

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上記の綾辻行人さんの言葉、僕は心底から同感に思います。僕は携帯やツイッターから『常に繋がっていること、常に未来へ進むことは正しく、孤独であること、過去を想起することは間違っている』というイデオロギーの押し付けがましさを感じて、どうしても好きになれないので…。孤独な営み、沈思黙考の営み、夢見る営みに、価値を見い出すという考え方があっても良いと思いますね…。今の状況は、まるで伝道の書一章十一節に謳われるが如き状態で、余りにも一切の全ての速度が速過ぎて、僕はついていくのが辛いです…。もっとゆっくりしたいです…。
携帯やツイッターは、人間が携帯やツイッターに接続される『物』であるかのようになっているのが、堪らないです…。そこでは速度のみが重要視され、他の全ては捨てられてゆく…。全ては速過ぎて、全ては忘れ去られ、助けを求める声は速さに押し流されて届くことのない世界です…。僕は、ゆっくりしている猫の時の世界の方が、機械の速度の世界よりも、ずっと命に適した世界だと思いますね…。
携帯やツイッターには、速度のみののっぺりとした平坦な世界が心理的に迫ってくるような圧迫感を覚えて辛いですね…。速度が全ての平坦な世界では量れない、時の流れから外れた領域として、善きこと、美しきこと、愛ということはあると僕は感じます。
参考作品(amazon)
Another
カフカ短篇集 (岩波文庫)
カフカ寓話集 (岩波文庫)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言辞典
世界なき人間―文学・美術論集 (叢書・ウニベルシタス)
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僕が昔から大好きなミステリ作家さん、大傑作ミステリシリーズ「館シリーズ」の著者である綾辻行人さんの久々の新刊「Another」の出版を記念して、昨日(2月4日)の朝日新聞夕刊に、綾辻行人さんのインタビュー記事が載っているので、引用してご紹介致します。

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いつもつながっていたいね、とか宣伝されるのを聞くと、つながりすぎだよと綾辻さんは思う。肝心なところでつながればいいじゃないかと。
「常にだれかや情報とつながっていないといけないという強迫観念に違和感がある。ひとりで考え、本を読む時間、孤独な時間をもっと大事にしていい」
上記の綾辻行人さんの言葉、僕は心底から同感に思います。僕は携帯やツイッターから『常に繋がっていること、常に未来へ進むことは正しく、孤独であること、過去を想起することは間違っている』というイデオロギーの押し付けがましさを感じて、どうしても好きになれないので…。孤独な営み、沈思黙考の営み、夢見る営みに、価値を見い出すという考え方があっても良いと思いますね…。今の状況は、まるで伝道の書一章十一節に謳われるが如き状態で、余りにも一切の全ての速度が速過ぎて、僕はついていくのが辛いです…。もっとゆっくりしたいです…。
昔の人々のことは誰も覚えていない。これから先に現われる人々のことも後の世の誰も覚えていないだろう。
(旧約聖書伝道の書一章十一節)
携帯やツイッターは、人間が携帯やツイッターに接続される『物』であるかのようになっているのが、堪らないです…。そこでは速度のみが重要視され、他の全ては捨てられてゆく…。全ては速過ぎて、全ては忘れ去られ、助けを求める声は速さに押し流されて届くことのない世界です…。僕は、ゆっくりしている猫の時の世界の方が、機械の速度の世界よりも、ずっと命に適した世界だと思いますね…。
ラ・フォンテーヌ、レッシング、ゲーテまでは、動物が寓話の主人公であったのは決して偶然ではない。寓話では、動物が人間と同じように行動し会話する。――人間は動物である(動物的な性質を持つ)ということの逆の表現なのである。(中略)
今日人間が「非人間的」だと思われるのは、人間が「動物的な」性質を持っているからではない。今の人間は(動物のような生命の性質ではなく)『物の機能』と化しているからである。このため今日の寓話作家は『人間は物である』というスキャンダルを強く攻撃するため、物が生き物として登場する寓話を作らねばならない。そういう結論を出したのがカフカである。それは彼が最初であった。少なくとも、ほとんど最初であった。彼には1人の先輩がいたからである。
(カフカの先輩が書いた)ある書物にはこう書かれている。『机は感覚的でありながら超感覚的な物に変わってしまう。それはもはや自分の足で大地の上に立っているのではない。それは逆立ちしていて、ひとりでに踊り出すときよりもはるかに不思議な妄想を、その木製の頭で展開する。』これはカフカのオドラデク(カフカが創造した謎の生物。カフカ短編集収録「父の気がかり」に出てきます)ではない。ティークやポーやゴーゴリのものでもない。これは、マルクスの『資本論』の第一巻の第一篇第一章の第四節にある商品となった机のことである。(中略)
近づき難い王や近づき難い女性は「美しい」が――これは、彼らが「美しい」から「近づき難い」のではなく、彼らは「近づき難い」ゆえに「美しい」という意味である。『創世記』の誘惑の物語が教えているのもこのことであり、これはショーウィンドウの前に立っている子供を見ればよく分かることである。(中略)
「美しい」と感じさせるものは、まず日常の社交から掛け離れた「格調高い言葉」である。それは、同じ階の隣室の人が使うような言葉ではなくて、「より高度の領域」から語りかけてきて「高める」ような言葉である。どのような文化であっても、最初に「美しい=厳かな」とみなされたのがシャーマンの言葉であったのは偶然ではない。
(ギュンター・アンダース「世界なき人間」)
携帯やツイッターには、速度のみののっぺりとした平坦な世界が心理的に迫ってくるような圧迫感を覚えて辛いですね…。速度が全ての平坦な世界では量れない、時の流れから外れた領域として、善きこと、美しきこと、愛ということはあると僕は感じます。
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カフカ短篇集 (岩波文庫)
カフカ寓話集 (岩波文庫)
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