中井英夫全集〈1〉虚無への供物 (創元ライブラリ)

先日プレイした「うみねこのなく頃に散EP6」が僕としては非常に興醒めな作品であったので、口直しに作家中井英夫の代表作であるミステリ「虚無への供物」を読んでおりました。虚無への供物、各所に色々と欠点はありますが、それらを鑑みても、総合的に見ると非常に優れたミステリであると改めて思いましたね…。「うみねこのなく頃に」シリーズと「虚無への供物」は、表面的には似た要素がありながら、決定的な根本的違い、ある種の対立的な違いがあるので、今回はその点について述べようと思います。

虚無への供物は、氷沼家というところで起きた殺人事件の謎を、素人探偵達が仮説(それぞれの仮説自体が小説仕立てになっている)を出し合い推理してゆき、そのなかで劇中劇(小説内の小説)が本筋の物語と入れ替わる構造になっているのですが、丹念に読んでいくと、あくまで「実際に起きた死」と「仮説・小説内の虚構としての死」というのは区別されているんですね。虚無への供物の登場人物達がことごとく推理マニアの奇人変人で、無理矢理組み上げた自分の仮説に合わせる為の牽強付会な解釈を実際の事件に対して行ってゆくところは、それぞれのエピソードごとの展開が仮説の羅列であるうみねこっぽいですが、実際に起きた事件(人々の死)と、それから生まれる仮説・推理は、虚無への供物の場合は最初から最後まであくまで区別されている。死が現実の出来事として実際に起きていて、現実にはその解明が出来ない死が多い、実際に起きている現実の死の不可解さ、死という出来事の避け得なさということが、真犯人の最終的な動機と関わっているんですね…。作中で起きる氷沼家の一族の死、そして他の多数の死は、現実の死として重みを持っている。

それに比べるとうみねこのなく頃には、EP5、6あたりではっきりとしましたが、作中世界全てに対する超越者として現われる作者竜騎士07さん以外の作中のあらゆる全ては作り物であり、現実味のない無数の仮説であるという前提を自明として成り立っているんですね。自分が創造した作品全てを俯瞰する超越者としての作者竜騎士07さんが「確定的な出来事を赤字で書く」というのを、本来は作中における仮説であり全てが不確定の筈の言説(うみねこの中に出てくる劇中劇としての小説など)にまで出す事で、作者竜騎士07さんの絶対的な超越性のみが極端に担保されている為、作品の全ては作り物であらざるを得ない。

例えて言えば、虚無への供物で推理マニアの奇人変人達がそれぞれの仮説を物語仕立てで開陳しあっているところに、作者の中井英夫さんが出てきて、「この仮説のなかで確かな物は赤字で書くことを宣言する」なんてことを作者視点から宣言したら、虚無への供物の作品世界は一気に現実性を持たない作り物になってしまう訳です。メタ構造になる(上位構造が下位構造に介入してくる)ということは、下位の構造が作り物(上位の構造によって作られたもの)であることを意識的に知らしめてしまうわけです。

我々の生きているこの世界というのは、我々にとって作り物ではない最上位の世界、現実世界ですから、作品に現実的な重みを持たせる為に、小説などの作品世界も、最上位の世界であるという前提で書かれていることが多いわけです。我々が「所詮は小説」などと斜に構えて外部から見れば小説という下位の構造世界ですが、そういったことを忘れて、その作品世界を最上位世界としてその世界に没入するということが、読書の楽しみの一つであり、また、読書が一つの重みのある経験として我々に体験を齎してくれることに繋がっています。

「うみねこのなく頃に」の場合は、今回のEP6に至っては、登場人物達が、自分達は作者(上位構造)に創られた物語内の登場人物だという認識の下でメチャクチャな行動を取っており、「虚無への供物」において最も重みを持っているものとされた「現実の死」というものが、うみねこにおいては、とてつもなく軽い、ただの文章の羅列としての死に成り下がっている。前衛的な実験小説的ではあるとは思いますが、メタ・テキスト上の何の重みのない死というのを描くうみねこシリーズの展開、僕は全く好みではないですね…。「虚無への供物」とは、表面上の構造は似ていますが、根本的には全く対極にあると言ってもいい。

筒井康隆さんの一部の小説のような、メタ・テキストの空っぽさに徹底して徹する小説なら、それはそれで実験的な価値があると思いますが、うみねこの場合は、作者の竜騎士07さんが、「メタ・テキストが構造的に持つ作り物としての空っぽさ」ということをあまり自覚していないみたいで、作り物としての世界(メタ構造を明かしている世界)で、現実的なテキストに基いて読み手が情動を動かすことを求めている様子が窺えて、う〜んとしか言いようがないですね…。例えば今回のEP6における親殺しなどのシーン、作り物としての世界(上位世界が作った下位の世界)だから本当の殺人ではないというエクスキューズと、「重い親殺しなんだ」というそのシーンでのみの重みの描写が並列していて、ダブルスタンダードな描写になっており内容が破綻しています。今回のEP6ではメタ構造の描き方が酷く混乱している為、全体として整合性が全くなく、個々のシーンと全体としての構造がちぐはぐで全く破綻している。結果、個々のシーンでは情感たっぷりの描写を行っているが、全体は非常にシニカルで冷笑的な、全ては作り物という醒めた目線で作られた箱庭のようなちぐはぐな世界になってしまっていますね…。

少なくとも現在のところ、うみねこのなく頃にシリーズは、一つの物語として整合性を持った作品としては完全に失敗していると思います。個々の情感たっぷりのシーンを活かすならば、全体が作り物めくメタ・テキストの過剰と混乱を抑えるべきですし、逆に、作者竜騎士07さんがメタレベルの階層を赤字を持って横断する超越者として現われている、現状の冷笑的でシニカルなメタ・テキストという全体性を活かすならば、登場人物達ももっとメタ・テキストを意識した造形にするべきでしょう。現在のうみねこシリーズはメタ・テキストのそれぞれの階層が混乱していて、とても読めたものじゃありません…。例えば今回のEP6はうみねこ作中の登場人物としての意識を持っている古戸エリカと、そういった意識を持っていないほかの登場人物が、同レベルの世界(舞台となる島)に共にいるという点からして、メタ・テキストの階層がごっちゃになっている混乱したまがい物、作り物めいた世界であって、そこで起きる出来事の重み、死の重みというものが全く感じられません…。メタレベルの階層がメチャクチャで、書き手(竜騎士07さん)が混乱しているのが読み手のこちらにまで伝ってきます。その為、個々のシーンでいくら情感たっぷりの描写をしようと、全体が破綻している為に個々のシーンが空回りしていますね…。

メタ・テキストを書くにも、どのようにメタレベルの階層を設定するか、緻密な計算がいる訳でして、その計算を放棄して適当に書けば、それぞれのメタ・テキストの階層が入り混じって混乱し、燦々たる破綻という結果しか生まれません。今回のEP6は、EP5以上にそれを示した失敗作と思います。次回作は、メタ・テキストを書くにしても、今回のようにメタレベルの階層をごっちゃにしないことだけは、作者の竜騎士07さんに、最低限、気を払って欲しいと願います…。

参考作品(amazon)
中井英夫全集〈1〉虚無への供物 (創元ライブラリ)
うみねこのなく頃に Episode1:Legend of the golden witch 1 (ガンガンコミックス)
TVアニメーション 「うみねこのなく頃に」 コレクターズエディション 初回限定版 Note.01 [Blu-ray]
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