不安の書

体調がよくなく、精神的にも落ち込みが重く、寝込んでいます。ブログで文章を書くのと病院に行くのしか、外界との接点が無く、なるべくブログは毎日更新したいのですが、まさに小プリニウスの言葉を思い出すような状態です…。

書くことがないときは、書くことがないことについて書くがよい。
(小プリニウス「書簡集」)

最近全般的に体調が良くなく、特に今日は一日寝込んでいたので、何も情報が入らず、まさに書くことがないという感じで、申し訳ないです…。落ち込みが激しいので、何か気を散らした方がいいと思うのですが、上手くいかないです…。長編を読む気力がないので、先の書簡集などの断片集を読んでいました…。フェルナンド・ペソアの「不安の書」などよいですね…。小説や映像作品などが描く虚構のイメージを重んじる人にはとても良い断片集かと思います。ただ、この書にも書いてありますが、本当に心が疲れているときは虚構のイメージに入れない、というのはあると思いますね…。

芸術は錯覚によりわれわれを、存在しているという苦悩から解放してくれる。我々はデンマークの王子ハムレットの不幸と侮辱を感じているあいだは、自分のそれを感じない――。
(フェルナンド・ペソア「不安の書」)

書簡集の著者小プリニウスは古代ギリシア哲学-ストア哲学の影響を受けていますが、不安の書を書いた20世紀の詩人・哲学者であるフェルナンド・ペソアにもその影響があって、不幸な人の哲学(ストア哲学的・グノーシス主義的考え方、苦悩に満ちた不条理な外界の認識とその外界に対する否定)というのは、数千年たっても変わらないのだなということを感じさせますね…。ペソアの場合は、詩人だけあって、虚構のイメージを求めているところが、現代の日本でいうと本田透さんに通底しています。

ストイシズムは伝統的な生き方の破壊された混乱期に、「自分自身を励ますこと」を目的とする哲学だったのであり、自己を滅ぼそうとする優越者に抵抗して自己を肯定するための保身の術だったのである。
(福田恆存「人間・この劇的なるもの」)

自分が人間の襤褸にすぎない、生き残っている出来損ないだ、拘禁するほどではないにせよ精神異常者だと大胆に認めるにはかなり知的な勇気がいる。しかし、それを認めたうえで、自分の運命に完全に順応し、自然が課した生まれつきの災いを反抗心なしには諦めず、じたばたせずに受け入れるのには、さらに精神的な勇気が必要とされる。それを苦にしないのを望むのは過度の望みというものだ。なぜなら、不幸を受け入れ、それを幸福とみなし幸福と呼ぶのは人間性にそぐわず、また不幸を不幸として受け入れるなら、それは苦にせざるをえないからだ。(中略)

したがって、われわれは、望んだり期待したり、世界を説明しようという軽薄な野心や世界を改め支配しようだのという愚かな意図を持ったりするのはやめるのがよい。すべては無であるか、ギリシア詩華集で言われているように「すべては不合理からくる」、しかもそういっているのはギリシア人、理性的な人なのだ。
(フェルナンド・ペソア「不安の書」)

参考作品(amazon)
不安の書
プリニウス書簡集―ローマ帝国一貴紳の生活と信条 (講談社学術文庫)
人間・この劇的なるもの (新潮文庫)
ルキリウスへの手紙/モラル通信

amazonトップページ