ねこねこブログ

ねこねこと申します。ねこ大好き(*^^*)アニメ、マンガ、ゲーム、本とかも大好きです。楽しいことたくさん書いていきたいと思います。今、うつ病で無職で生活が非常に貧困困窮しておりまして、買い物してくださるととても感謝します。メールについてはこちらをご覧下さい。リンクフリーです。ツイッターはこちらです。https://twitter.com/kemohure

- PERSONA -trinity soul- 心の傷と癒し

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PERSONA -trinity soul- に参加中!
DVD「ぺルソナ トリニティ・ソウル」

僕の大好きなアニメに「- PERSONA -trinity soul-」っていうアニメがあります。このアニメの素敵なところは、一般的なヒロイック・ファンタジー(超越的力を持った善玉と悪玉が一般人おいてけぼりで戦う)とは違い、主人公側も、敵側も、そしてごくごく一般的な人々として描かれる人も、みんな、一人一人生きている人間として描かれていて、みんな、みんな、傷を負っているんですね…。僕、これを見てるとよく泣いちゃって…。

僕は、凄い力を持った善玉と悪玉が戦って、その余波で一般の人が大勢死んだり傷ついたりしているのに、それを全然気にも留めないような善玉を善玉だとは思っていません。僕はそういうとき、あの爆発で転がったバスの人どうなったのかな、ビルの人はどうなったのかな、みたいなことがどうしても頭に残ってしまいながら画面を見ています。この前、18禁ゲームで「G線上の魔王」という作品をプレイしたときは、主人公達の個人的な因縁で、街の人々が虐殺されているのに、主人公達が全然気にしていなくて、その後も全くケアがなく放置されていて、凄く吃驚しました。でも、こういう作品、沢山あって、有名どころでは、TYPE-MOONのゲーム「Fate-stay night」でも、桜シナリオで虐殺された街の人々も同じように放置されていました…。

僕は、こういうゲームやると、いくら主人公とかが正義感ぶったって、自分の仲間だけが大切で、他の人間を塵芥のようににしか見ないんじゃ、それは、人間として一番ダメな見方だと思います。

僕の好きな主人公に、これも18禁ゲームですが、クロックアップ「Zwei Worter」というゲームのイズモ・キョウシロウという軍人がいます。彼は、戦争で被害を出すことを、どうしても割り切れない軍人です。自分の全力を持って人々を守ろうと一生懸命戦って、それでも被害を出してしまったとき、どうしようもなく、苦しんで、沢山沢山、傷を負って、そしてそれでも自分にできうるかぎり全てで人々を守ろうとする優しい強さを持っている。僕は、彼に共感できるとプレイしていて思いました。彼は、なんといったらいいかうまく云えないけど、いい奴です。

「- PERSONA -trinity soul-」の人々、主役達だけじゃなくて、でてくる全ての人々に、そういう、傷を持って生きている人間の脈動みたいなものを僕は感じます。それは、他の人に対する優しさとして現れて、少しずつ心の傷にかさぶたが生まれていく…。

心的外傷の研究で最も基本的なものであるジュディス・L・ハーマンの研究(心的外傷と回復)によると、心的外傷、傷つけられた心を最後に回復するものは、他者との絆、自分から人への優しさ、自分からの支援などだと云います。人(見知らぬ人も含めた、世界で一緒に命が生きている、我々みんな共世界の生命)に優しくし、人を助けることが、傷ついた心を救ってくれる。感謝と喜びによって、社会との絆を取り戻すことが、最後の大切な回復なんだそうです。

(傷の癒しの途上にある)サバイヴァー(心が傷ついた人)は、しかるべきときは他者を信頼し、そうでないときは信頼を撤回するということができる。過去に受けた残虐行為は帳消しにすることはできないが、それを超越する方法はある。それは、自己の被害体験を他者への贈り物とすべく、公衆の意識を高めることに献身することである。例えば、自分と同じに被害者になった人々を各方面において救済し、あるいは将来被害者がでないようにし、あるいは加害者を法廷に引き出そうとすることである。社会との絆の取り戻しは、「私は一人ではない」という発見をもって始まる。この体験にもとづいて生存者がグループを形成すれば、互酬的な集団有力化の場とすることができる。生存者(サバイヴァー)の回復における治療者の役割は、オープンで共感的な聞き手であり、犯罪の証人=目撃者であることである。治療者は生存者を救済しようとしたり、コントロールしようとしたりしてはならない。独りで外傷と取り組める治療者はいない。治療者は孤立することなく、自分自身にも良質のケアを供給していかねばならない。
(「精神医学の名著50」より、ジュディス・L・ハーマンの項目)

これはかなり大人しめに書いてありますが、ジュディスの文章はいつももっと情熱的で、読んでて、その強さに、僕は本当に尊敬します。心から、敬意を覚える…。

多くの(被害者をケアする)臨床家が対処するすべを身につけなくてはならなかった脅迫と嫌がらせの戦術こそ、長年に渡って、女性、児童、およびそれ以外の被圧迫者の弁護に立った草の根の人達が耐え忍んできたものと同じやり口である。傍にいあわせた者の立場にある私達は、暴力の被害者達が日々奮い起こしている勇気のかけらでも私達の中にあるのかないのか、自分の中を覗き込んでみるべきである。
攻撃のあるものは全く愚劣そのものである。多くは実に醜い。むろん、恐ろしさにふるえながらであるが、こういう攻撃は、目に見えないところで、治療関係の力をむしろ強化している。それは、私達が、被害者がその真実を語れる保護的空間を創造することが一つの解放行為であることを思い出させてくれる。また、被害者と加害者との間の闘争には道徳的中立という選択肢がないことも思い出させてくれる。傍にいあわせたものは皆そうであるが、治療者も、時にはどちらの側に立つかの選択を強いられる。被害者の側に立つ者は、加害者のむき出しの怒りに直面せざるえない。これは避けられないことであるが、私達の多くにとって、これ以上の名誉があろうか。
(ジュディス・L・ハーマン「心的外傷と回復」)

僕は「- PERSONA -trinity soul-」の人々が、一生懸命、傷を負いながらもジュディスのようにみんなを助けようと頑張っているように見えます。本当の優しさを感じます。僕はこの作品が、とても好きです。僕は弱い人間ですが、それでも、できたら主人公達のように勇気を出して優しくなりたいと、できたらいいなと、いつも思っています。

俺は惚れた女はなかせねぇ
自分を信じてくれる奴をうらぎらねぇ
(- PERSONA -trinity soul-)

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ペルソナ ~トリニティ・ソウル~ Vol.1 【完全生産限定版】
ペルソナ~トリニティ・ソウル~ Vol.2
ペルソナ~トリニティ・ソウル~ Vol.3
ペルソナ~トリニティ・ソウル~ Vol.4
ペルソナ ~トリニティ・ソウル~ Vol.5
ツヴァイウォルター
くろふぁん4GHz
心的外傷と回復
精神医学の名著50

アニメ総合一覧

カレル・チャペック、人間と猫と信頼

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僕の好きな作家さんに、カレル・チャペックって云う人がいるんですが、この人はファシズムの嵐がヨーロッパに吹き荒れて世界情勢が大変なときに一生懸命民主主義や自由の大切さを説き続けた、そしていい小説や随筆を沢山残した作家さんなんですね。この人の随筆読むの、僕は大好きで、近年もずっと日本語訳刊行されてて嬉しいです。

それで、この人は、いつも何を説いているかというと、全ての根幹、人が人らしく生きるために必要なのは、信頼だってことを一生懸命説いているんですね。信頼が一番大切というのはなんかちょっと「ひぐらしのなく頃に」みたいですね。この人の生きていた時代の社会情勢が人々の信頼を裏切り続けたのは、凄く、無念ですが…。

人間が人間であることの証は、信頼だということを、もうずーっとこの人は延々と真面目な随筆で書いているんですね。そのことを、猫との付き合いに絡めて書いた軽みのあるいい文章があるんで、ご紹介いたします。

「猫」
人間よ、あんたとなら猫は話をする。あなたにニャオーと鳴き、あなたの目を見て言う。「人間さん、ここのこのドアを開けてちょうだい。大食いさん、あんたが食べているものを、あたしにもちょうだい。あたしを撫でてちょうだい。何かお話してちょうだい。あたしを肘掛け椅子で寝かせてちょうだい」あなたに対するとき、猫は、一匹狼的な野獣の影ではない。あなたにとっては、単に家のニャン子ちゃんだ。というのも、あなたを信頼するからだ。野獣というのは、信頼しない動物のことだ。家畜化というのは、単純に、信頼の状態のことだ。
そして人間よ、私たち人間だって、互いに信頼し合う限りにおいてのみ、野獣ではないのだ。もしも私が――例えばの話――家から外に出て、私が出会う最初の人を信頼しないなら、私は彼の方へ近づきながら低くうなり、最初に目が合った瞬間に彼の喉に飛びかかれるように、歩きながら腿を緊張させるだろう。もしも私が、路面電車に乗り合わせた人々を信頼しないなら、私は背中に壁を向けて、威嚇のためにフーッとうならなければならないだろう。そうする代わりに、私は自分の無防備の背中を人々にさらしながら、心穏やかに握り棒に掴まって新聞を読む。私が道を歩くとき、通りがかりの人が私に何をするかを考慮に入れたりせずに、自分の仕事のことを考えたり、あるいは何も考えないでいる。彼らが私を食べようと隙を窺っていないかどうかを横目で注視しなければならないとしたら、それは恐ろしいことだろう。不信の状態は、原始的な野生の状態だ。不信はジャングルの法だ。
不信の育成によって生きる政治は、蛮地の政治だ。人間を信頼しない猫は、人間の中に人間を見ず、野獣を見ている。人間を信頼しない人間もまた、人間のなかに野獣を見ているのだ。相互の信頼の絆はあらゆる文明より古く、それがある限り、人類は人類としてとどまるだろう。けれども、信頼の状態を壊すなら、人間の世界は猛獣の世界となる。
私は今、自分のニャン子を撫でに行く。猫は私に大きな慰めを与えてくれる。それも、猫が私を信頼しているからだ。たとえそれが、プラハのどこかの中庭の蛮地から迷い込んできた、ただの小さくて灰色の動物に過ぎないとしても。猫はニャオーと鳴いて、私を見る。「人間さん」と猫は言う。「頭の後ろを掻いてよ」
(チャペック「犬と猫のお話」より)

僕は最近、こういう信頼ががたがたに崩れているように感じて、とても怖いです。チャペックが、どんどん信頼が崩れていくってことを随筆に恐れて書いて、その後、第二次世界大戦が始りました。今、いきなり戦争が始るとは思わないけど、色んな信頼が崩れて、新しい技術インターネットで信頼も増えてそれはとても良いことだと思うけど、その信頼を壊してしまうような悪意もどんどん増えて、ネットだけじゃなく、世の中全体で、信頼がどんどん消えて、チャペックが、信頼、大切なものがどんどん消えていくって書いた頃より、もっとどんどん消えてしまっている感じがして、とても恐ろしいです。みんながみんなを信じて、少しでも、信頼が大切に貴ばれ、みんなで育て守ってゆくような社会になることを、一生懸命願って祈っています。

いろいろな人たち―チャペック・エッセイ集 (平凡社ライブラリー (90))
こまった人たち―チャペック小品集 (平凡社ライブラリー)
カレル・チャペックのごあいさつ
カレル・チャペックの日曜日
山椒魚戦争 (岩波文庫)
ロボット (岩波文庫)
長い長いお医者さんの話 (岩波少年文庫 (002))
チャペックの犬と猫のお話
未来からの手紙―チャペック・エッセイ集 (平凡社ライブラリー (159))
カレル・チャペックの童話の作り方

猫にもふもふするとき(チャペック「猫の言い分から」)

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「猫の言い分から」
これはあたしの「人間」よ。怖くはないわ。
「人間」はとても力もちだわ。だって、あんなに食べるからよ。
何でも食べているの?ちょうだいよ!
「人間」はきれいじゃないわ。毛がないからよ。唾がたっぷりないから、水で体を洗わなきゃならないのよ。「人間」はだみ声で鳴いて、やたらとおしゃべりだわ。眠っているのに鳴くことだってあるわ。
ドアを開けてちょうだい。
「人間」がなぜ主になったのか、わからないわ。きっと、何か高尚なものを食べたのでしょう。
あたしの部屋の中では、きれいにしていてくれるわ。
「人間」は、黒くてとがった爪を前足にはめて、それで白い紙を引っ掻くの。他の遊びはできないのよね。昼間の代わりに夜中に眠って、暗いところでは目が見えず、楽しみがないのよ。血のことを想うこともなく、狩りと闘いを夢想することもなく、愛のために歌うこともないわ。
あたしが神秘的で魅惑的な声を耳にして、闇の中で全てが活気を帯びてくるのが見える夜中に、「人間」はよく、机に向かって座り、頭を傾けて、黒い爪で白い紙を引っ掻き続けているわ」。あたしがあんたの心配をしているなんて、思わないでよ。あたしはただ、あんたの爪のさらさらいう静かな音を聞いているだけ。時々その音がやんで、哀れで愚かな頭は、どうやって遊べばよいのか、もう分からなくなるのよね。
すると、あたしは彼が可哀想になり、彼のそばに行ってあげて、甘くて悩ましいふさぎの中で、小声でニャオーって鳴いてあげる。すると、あたしの「人間」はあたしを抱き上げて、あたしの毛の中に、自分の暖かい顔をうずめるのよ。その瞬間、彼の中に、一瞬、より高い生活の光がぱっと輝き、彼は至福のため息をついて、ほとんど理解できる鳴き声を出すのよ。
けれども、あたしがあんたの心配をしているなんて、思わないでよ。あんたはあたしを暖めたから、今はまた、夜の声を聞きに行くわ。
(チャペック「犬と猫のお話」より)

チャペックの犬と猫のお話

何度も読む本、江藤淳「エセー」です。

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僕が何度も読む本は江藤淳さんの随筆、論文集とかではなく、日々日常の私的な、プライベートなことを綴った随筆を何度も読みます。何か大事件が起きたりしなくても、読むたびに、胸がはっとなります。江藤さんは、一生懸命、真面目に生きようとするんだけど、それが些細なことからしてなかなかうまくいかない、そして、考えもしなかったような、どうしようもない、悲しいことも起きたりする。江藤さんはそれにどうすればいいかわからない。なんで世界が、頑張っても頑張っても報われない、こんな世界なのか、江藤さんは苦しみをすごく我慢して、奥さんと友達と犬とを大切にしながら、ずっとそれに耐えていく…。そして、江藤さんは、周りの人たちも一杯苦しみがあって、みんな、みんな、それに耐えていることに気づく。そして、いっしょに、耐え続ける…。いつも、読んでて、目頭が熱くなります。江藤さんは、ただひたすら、なんでなんだろう、なんでなんだろう、って考えながら、必死に生きていく。僕は、江藤淳さんと直接の面識ないけれど、尊敬する作家さんです。

どう努めたところで、自分がこういう過去を背負った人間だという事実から逃れることはできない。そのことだけはこの十年のあいだに少し眼に見えて来たような気がする。私はただ書き、自分が書いていることをいくらかは恥じ、書くことがなくなれば書くことをやめるであろう。しかし自分と世界とのあいだのあの違和感が存在しつづけるかぎり、そして自分にどんな逃げ場所もないことが明白なかぎり、私はやはり書きつづけるであろう。
江藤淳コレクション2「エセー」より

江藤淳コレクション〈1〉史論 (ちくま学芸文庫)
江藤淳コレクション〈2〉エセー (ちくま学芸文庫)
江藤淳コレクション〈3〉文学論(1) (ちくま学芸文庫)
江藤淳コレクション〈4〉文学論(2) (ちくま学芸文庫)
江藤淳コレクション 全4巻セット

心がけたいこと(モンテーニュ「エセー」)

以下、モンテーニュのエセーの文章です。

わたしは、学識というものを、それを
持っている人々に劣らず愛好し、尊重する。
それは本当の用い方をされるならば、
人間のもっとも高貴で強力な獲得物だ。
しかし、自分達のもっとも基本的な能力、
価値をそれによってこしらえあげている人々、
自分達の理解力を記憶力に結び付けて、
他人の本の影の下に隠れて、本によって
でなければ何もできないような人々にあっては、
わたしは、学識を、愚鈍よりも少しばかりよけいに
憎むのだ。私の国では、そして今生きている
時代では、学問は財布の中身を結構良くはするが、
魂を良くすることはめったにない。
モンテーニュ「エセー」より

今回、応援してくださった方々に励まされて、
真摯に向き合ってくれる大切な方々に、ご恩返しが
できればと深く思いました。沢山の方々に助けられ、
これまでよりも、全て真摯に向き合わねばと
思いました。これまでは、まさにモンテーニュが
云う様に普段、本とかの影に隠れすぎていたところ
が自分にある、そうではなく、真摯に、文章を読んで
くださる皆様方に、しっかり向き合って、文章を
書きたいと思いました。このことを、心がまえとし、
これから文章を書いていきたいと思います。
よろしくお願いします。

エセー〈1〉
エセー 2 (2)
エセー 3 (3)

ヴァンパイア騎士、とても面白いです〜。

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ヴァンパイア騎士 に参加中!
僕はアン・ライスやタニス・リー、ナンシー・A・コリンズとかの西洋の耽美に美しいヴァンパイア小説群が大好きなんですが、今、日本のアニメで、こういった審美的で観衆を魅了する力のある作品、それはこのアニメ「ヴァンパイア騎士」だと思っています。

ヴァンパイア物の魅力は、ただ単に力を振るうことにあるのではなくて、邪悪な優雅と洗練にあるのだと僕は思っています。吸血行為は弱肉強食ではなくて、「悪の刻印を刻む」という、西洋神学的な、「悪」としてのメタファーがあるんですね。そして、それを振るう者=吸血鬼は、自覚的な悪の行為者としての、アウトサイダー的な位置づけをされているし、また被害者も、傷(吸血)を受けることで、そこに組み込まれてしまう。加害者も被害者もどちらも孤独で、ぞっとするような孤独の系譜する洗練された文化を持っている。

この雰囲気が日本の作品で一番良く出ているのが、「ヴァンパイア騎士」だと僕は思います。まだ見たことないひとは、ぜひ見て欲しい作品です。

ヴァンパイア騎士1 【完全生産限定版】
ヴァンパイア騎士 2
ヴァンパイア騎士 1 (1) (花とゆめCOMICS)
ヴァンパイア騎士 2 (2) (花とゆめCOMICS)
ヴァンパイア騎士 3 (3) (花とゆめCOMICS)
ヴァンパイア騎士 4 (4) (花とゆめCOMICS)
ヴァンパイア騎士 5 (5) (花とゆめCOMICS)
ヴァンパイア騎士 6 (6) (花とゆめCOMICS)
ヴァンパイア騎士 7 (7) (花とゆめCOMICS)

空の青、海の青、豊饒と空虚の青

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あなたの好きな色を教えてください に参加中!
自然に広がる青が好きです。空に広がる明るくて薄い無限の青、海に広がる深々と水を湛えている無限の青、どちらも大好きです。どちらも無限に広がって、豊饒で、空虚であるところが、とても好きです。とても美しいと感じます。海をうたった僕の好きなゲーテの詩を「ゲーテ詩集」より紹介します。

ゲーテ
「海の静けさ」
深き静けさ、水にあり、
なぎて動かず、わたつうみ。
あまりになげる海づらを
ながむる舟人の憂い顔。
風の来たらん方もなく、
死にもや絶えし静けさよ!
果てしも知らぬ海原に
立つ波もなし見る限り。

平家物語の海に身投げするときの「海の底にも都はあります」やシュペルヴィエルの「海に住む少女」とかの美しさ、それは反語であって、海の無限の青(空の無限の青も)には、人間的なものは何もないんですね。豊饒な空虚が広がっている。そういう青が、僕はとても好きです。

ゲーテ詩集 (新潮文庫)
海に住む少女 (光文社古典新訳文庫)

日本のキャラクターと西洋のキャラクター

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好きなキャラクターは? に参加中!
僕はチーズスイートホームの子猫のチーと、スヌーピーが好きですね。両方ともよく読むマンガです。チーは良い意味で動物的でひたすら可愛いくて、周りの動物や人々もみんな底抜けにいい人なのに比べ、スヌーピーは人間的でいっつも哲学的なことを考えている割に、どこか抜けていて、周りの人達もどこかシニカルなところがあるのが、読み比べると面白いなって思ってます。日本のキャラクターはキティちゃんにしてもけろけろけろっぴにしてもとらじろうにしてもみんなまっすぐ可愛くて裏がないですからね。

ひたすら可愛いを求める日本の萌え文化と、西洋の理性とその裏返しのユーモア(ブラックユーモア)の文化の違いみたいのがあるのかなって思います。イギリスのモンティパイソンとかアメリカのティム・バートンとか好きなんですが、西洋の話って、キリスト教の神聖さの裏表としてこういう皮肉さがあるように思えて、キャラクターにもそれが反映している感じです。

僕はどっちも可愛くて好きです。こういう違いを感じるのも面白いですよ〜。

チーズスイートホーム (1) (モーニングKCDX (1943))
SNOOPY〈1〉行くよ!今行くよ! (Sunday Special Peanuts Series)

猫と幸せ、熊井明子さん

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幸せだなあと思うときはどんなとき? に参加中!
家に帰ってきて、猫がにゃ〜んにゃ〜んって鳴きながらすりよってきて、一杯身体をすりつけてきてくれるとき、嬉しいです。猫と一緒に、好きな本読んだりアニメ見たりするとき。街で猫を見かけたり一緒にいるのが好きです。猫と一緒に熊井明子さんの猫随筆読んだりすると、とっても不思議な、優しい気持ちです。

熊井明子さんのとても素敵な猫随筆については、田辺聖子さんがその魅力一杯語ってて、いい文章、少し引用します。熊井明子さんの「私の猫がいない日々」について書かれた文章です。

熊井明子さんのお名前をはじめて見たのは、何かのエッセーだった気がする。
その文章の感じは、やわらかな猫の、ふわふわ毛にさわったような、といおうか、猫の桃色の、冷いあしのうらをそっと握った、といおうか、それに加えて、すずやかな、ひとすじ甘い香りがただよっている……そんな雰囲気の文体だった。(中略)
信州のお生れでいらして、風や野の匂いや花々に包まれた少女時代を過され、自然の中で生きる幸せ、自然がなかったら皮膚呼吸できないというような、自然と人間の蜜月を体験されたからであろう、熊井さんの手作りのポプリは木の根っこや樹脂や、嵐のあとの森の梢の露、そんな匂いに満ちていて、わたしの胸をいっぱいにして下さったのだった。
そういう熊井さんが、猫好きでいられるのは、まことに当然のおもむきのような気がして、私は微笑を禁じ得ない。人間には犬好きと猫好きとある、とはよくいわれることだけれど、犬はこちらの(人間の)気持にすぐ順応し、人間まみれになってしまうところがある。この本の中にもあるけど、アメリカのある心理学者はいったという、「ウツの時は仔猫をかいなさい。犬はダメ。飼い主といっしょにウツになってしまうから」というのは、たしかにあることだと思う。
犬は「自然」でありながらも、「人工」的な存在である。
しかし猫は自然そのものといっていい。人間と心の交流を保ちつつ、奔恣に奔放に生きるところがいい。(中略)
次第に読者の心の中に、「悲しければこそ、猫を飼おう。猫と暮らしたい。猫と人生を分け合うって、どんなにすてきだろう……」という気持ちを起こさせるのだ。この本を読んだあと、私たちは「愛したい」という心をそそられ、死別・生別の悲しみこそ、愛を味深くするものであることに気付かされる。
人と猫が構築する濃密な愛の世界は、人生の厚みを増し、匂いを甘くするのだと知らされる。
この中に出てくるポポやマイマイという猫の死に泣きながら、それゆえにかえって(猫ってなんて素晴らしいものだろう)と思わされるのだ。
パリやロンドンに猫を見にゆく、という話も面白かった。猫を見にゆく、ということ自体が、すでにこの世のものならぬメルヘンではないか。異国のまちで生きている猫と、ほんのかりそめの出逢いをする、その一瞬のかさなりあう時間にたつ虹を見に、熊井さんはパリやロンドンをさまよう。それは「東京猫地図」の、猫が飼えないとき、よその猫をみてあるく、というお話にも通うけど、熊井さんは所有物としての猫を考えていられるのではない、そこに生きている、そこに暮らしている猫を
「見る」
だけで心がゆたかに充たされる人のようである。
猫たちと自分がいま、同じ時間、同じ場所で呼吸している、生命のかがやきを共有している、そう思うだけで、乾いていた咽喉がごくごくとおいしい水を送りこむように堪能し、満足する人であるように思われる。いっしょに生きようね、生きながらえて楽しい人生でいようね、猫にそういえる人であるようだ。
田辺聖子「性分でんねん」より

僕もこれとてもわかるように感じます。猫好きな人は、猫飼うとき、その猫を、ずっと大切にしてあげて欲しい。ずっと幸せにしてあげて欲しい。そうすると、猫が幸せだと、こちらにもその幸せが感じられます。

私の猫がいない日々 (集英社文庫)
いつも私の猫がいる
猫の文学散歩 (朝日文庫)
猫と見る夢
CATS in Four Seasons―子猫たちの四季 内山晟写真集
花の詩集 (福武文庫)
性分でんねん (ちくま文庫)

猫と話したい「だれも猫には気づかない」(アン・マキャフリー)

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今日は、大好きなTV番組「ポチたま」の日。楽しく見ました。

今日の番組のテーマ「猫の恋物語」、うまくいくのかなと思ったら、恋が実らずに残念…。別の猫に襲われて耳に怪我してたし、ねこたん、かわいそうだったよ…。

うちの近くにも放し飼いされてる猫がいて、ときどき、僕も挨拶して触ったりするんだけど、まえ怪我してたことがあって、そのまま行っちゃったけど、心配になりました。

いつも、猫と話せればいいのになと思います。うちの猫が始めて猫が毛玉吐くの見たときは、心配になりました。後で調べて、問題ないってことを知ったんですが、やっぱり心配で、毛玉吐き用の植物とか買ったんですが、全然使ってくれなかった…。猫とお話したいな…。

知ってる? 猫って、異常に我慢強くてね、大けがしても、平気な顔で座ってたりするんだよ。だから、外で飼ってると気がつかないことが多くて。もっと痛そうな顔すれば、助けてあげあれるのにねっ

これ、僕の好きなキラ☆キラってゲームに出てくる言葉です。猫、鳴き声と表情で一杯話せるから、それは上記とはちょっと違うかなって思うけど、でも、それでも、猫と、もっと話せたりして、仲良くなりたいなって思ってます。

僕は猫の出てくる小説が大好きなんですが、アン・マキャフリーって人の書いたファンタジー小説に、「だれも猫には気づかない」って本があって、大好きです。これは、とても賢くて可愛い猫のニフィが、飼い主の人は良いけど抜けている若い王様を助けて大活躍する話で、猫だから喋れないけど、それでも、人間と猫は一杯コミュニケーションできるってことを感じさせてくれる本で、大好きです。こういう風になりたいなって思ってます。

だれも猫には気づかない (創元推理文庫)
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