ねこねこブログ

ねこねこと申します。ねこ大好き(*^^*)アニメ、マンガ、ゲーム、本とかも大好きです。楽しいことたくさん書いていきたいと思います。今、うつ病で無職で生活が非常に貧困困窮しておりまして、買い物してくださるととても感謝します。メールについてはこちらをご覧下さい。リンクフリーです。ツイッターはこちらです。https://twitter.com/kemohure

医学・医療の進歩と命の救済

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どうしてもうまく文章書けないので、まず詩を書きました。暗い詩でごめんなさい。

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「夜」

ひたひたしんしんと迫ってくる黒い影

肺腑を通り抜け いつまでも氷の爪痕を残す

中天から果ての最後まで全てが黒い影

万物空間時間世界全てが黒い影

伸び縮みしながらいつまでも追ってくる黒い影



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今僕は、かなり強い抗不安薬とか飲んでますので文章が散漫になるかと思いますがごめんなさい。頑張って、文章書いてみます。

今、僕がかなり心が助かっているのは、抗うつ薬をずっと飲んできて、最近それが、少しずつ効いているみたいで、まだかなり辛いですが、助かっています。うつ病になると辛いことの恐怖と不安で頭の中が真っ黒に塗りつぶされてしまうのですが、抗うつ剤というお薬はそれに光が差し込んでくる感じで、少しずつ、明瞭に合理的に物事を考える力が戻ってきます。僕は、最初は辛くて他の感情・思考が消えてしまい、かなり酷い状況だったんですが、ずっと飲んでるとある日、合理的な思考みたいのが、少しずつ戻ってくる感じです。本当に薬は大切だと実感致しました。もし、お薬がなければどうなっていたかわかりません…。今も辛いですが、一番酷いときに比べると、かなり助かっています。

命を救うお薬は、身体を救うだけじゃなく、心も救うのだと実感しました。身命心霊を救われる、お医者様と医療に携わる方に感謝の気持ちで一杯です。僕は医学の専門家ではありませんが、僕にお薬が効いたということは云えます。

精神科医で精神薬学者のドナルド・クライン博士がデータを分析し、次のような結論を下した。重症のうつ病患者に対して、薬物療法は、二つの精神療法や偽薬より早く効果が現れ、全体として効果が高い。(中略)
中程度より重いうつ病で、自殺を考え、無力感を抱き、日常生活が困難な状況にある人は、第一の治療として統合療法を選ぶべきでない。処方薬による薬物療法を、真剣に検討すべきである。それでいったん回復したら、その時点で統合療法のアプローチを考えても危険はないし、問題ないだろう。
(ブライアン・P・クイン「うつ」と「躁」の教科書)

お薬と医学の進歩とお医者様・医療に携わる方は本当に貴いと思いました。僕は小説が好きなんですが、うつ病で自殺してしまわれたと考えられている作家の方、幾人かいて、お薬を使ってもっと、はやく助けられれば…と思います。お薬の開発自体が時代的に新しいものなので、古い作家には間に合わないのですが、それでも、お薬があれば、死なずに済んだのではないかと思う作家さん、います。

猟銃自殺したアーネスト・ヘミングウェイは双極性障害(躁うつ病)だったと云われていますし、芥川龍之介さんも、僕の好きな作家ですが、晩年の作品、遺稿の「或阿呆の一生」の最後の文章とか、他人事と思えなくて…(引用します)

青空文庫「或阿呆の一生」 五十一 敗北
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/19_14618.html
彼はペンを執る手も震へ出した。のみならず涎さへ流れ出した。彼の頭は〇・八のヴエロナアルを用ひて覚めた後の外は一度もはつきりしたことはなかつた。しかもはつきりしてゐるのはやつと半時間か一時間だつた。彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしてゐた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。
(昭和二年六月、遺稿)

これ、今、読んでて、涙がでてしまって。芥川龍之介さんがうつ病かどうかはわかりませんが、うつ病でもこうなっちゃうんですね。頭がずっとボーっとして、時間の感覚が失われて、ただ辛さ・苦しみだけが唯薄暗い中支配するんですね。全てが苦痛に満ちた強迫観念に支配され、ペン(合理的思考)は刃がこぼれてしまう。僕の好きな作家の梶井基次郎さんも、読んでると、うつ病のように思えますね…。

私は時々堪らなくいやな状態に陥ってしまうことがある。おうおうとして楽しまない。心が明るくならない。そう云ったものに実感が起こらなくなる。ものに身が入らなくなる。考えの纏まりがつかなくなる。ひとと話をしていても、自分の云っていることはみな甲所の外れた歯がゆい空言にしかならない。懐の都合は勿論はっきりした買いたさもなしに、とんでもないものを買ってしまったりするのもその時だ。何かなしひとから悪く思われているような気がするのもそんな時だ。普段喜びを感じながらしていたことがみな浅はかなことにしか思えなくなるのもそんなときだ。私はひどくみじめになってしまう。自分がでに何が苦しいのかと訊きたくなる。たちの悪い夢を背負っているようだ。夢のようなとうとつな凶が不意に来そうで脅かされる。身体は自由でありながら、腐れ水のような気だけはどうにもならない。それだけ残酷な牢獄のように思える。
(梶井基次郎「汽車」)

読んでて、悲しくて、辛くて、特に「普段喜びを感じながらしていたことがみな浅はかなことにしか思えなくなるのもそんなときだ。私はひどくみじめになってしまう。(中略)身体は自由でありながら、腐れ水のような気だけはどうにもならない。それだけ残酷な牢獄のように思える。」とか僕も、こういう感じで、お薬のおかげで少し楽になっていますから、梶井基次郎さんにはそういうものはなかった(お酒を飲んでよけい悪化してしまいました)というのは悲しいです。

僕がとても好きな作家に猫好き&うつ病が多いのは、不思議な感じがします…。ただ芥川龍之介さんの「歯車」みたいに妄想的な共時性とまでは感じませんし、そういう妄想的な共時性みたいな不安もあったんですが、そういうのは抗うつ剤飲んで意識が明瞭になって合理的に考えられるようになると少しずつ小さくなっていくんですね。合理的に考えるということは、考えすぎることの逆で、思考を適切な範囲で考えないでいられるってことなんですね。考えすぎると苦しむ。T・S・エリオットの詩のようです。

わたしは祈る――あまりにわたしが
自分と論じ合い、説明しすぎる問題を
忘れることができますようにと。
(T・S・エリオット「聖灰水曜日」)

もし、芥川龍之介さんの時代に抗うつ薬があれば、どれほど救われて、それからどれほどいい作品を沢山書いたかと思うと(僕は芥川龍之介作品大好きです)、時代というものの、かなしい、運命を思います…。江藤淳さんもそうですね…。頭がボーっとする精神薬もありますが、抗うつ剤は頭が明瞭になるのできっと芥川龍之介さんも助かって…。それでも、今、大勢の患者さんが、進歩してゆく医学と医療をお仕事となされる方々のおかげで救われていることは、本当に良かった…。

辛くて気力とかなくて、ほとんど何も出来ないのですが、それでも、文章だけ書こうという気になれるのは不思議ですね。朝は比較的調子がいいのですが、だんだんお薬が弱まってくるのか、だんだん前のようにかなり辛くなってきますが、前よりかは楽です。

もっと明るい話が書ければよいのですが…、今度は、猫のお話でも書こうかと思います。

お勧めの本という題材からずれてしまってごめんなさい。芥川龍之介さんの晩年の作品、特に「歯車」などは、非常に衝動的で神経的なリアリズムの感覚があって、大変な傑作だと思います。青空文庫で読めます。また、梶井基次郎さんの作品は、青空文庫収録のきちんと完成されている作品より、全集(ちくま文庫から全一冊で出てます)に載っている断片的な未完成の作品の方が、極めて生の感覚を伝えてくる様相で、お勧めです。

後、どうしてもお金に困っておりまして、ご機会があってよろしければ、amazonでお買い物してくださると助かります…。

「うつ」と「躁」の教科書
梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)

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いのちの約束 〜北大病院・澤村先生と子どもたち〜

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「NHK総合いのちの約束 〜北大病院・澤村先生と子どもたち〜」を視聴しました。とても胸打たれました…。
僕自身がうつ病になってから、新聞読んだりとか(前は丹念に何誌も読んでました)TV見たりすることがほとんどできなくなっていたのですが、この番組はそんなことなく、すっと優しく胸に入ってくる素敵な番組でした。

「NHK総合いのちの約束 〜北大病院・澤村先生と子どもたち〜」
子どもの死亡原因で1位の小児がん。中でも治療が難しいのが小児脳腫瘍だ。年に200人を超える子どもが全国から集まる北海道大学病院には、「ぼくのさわむら先生」と慕われる脳外科医がいる。これまで800人を手術した経験を持つ澤村豊医師(54)だ。小児脳腫瘍と向き合う中で、澤村先生は常に治療の難しさに突き当たる。「腫瘍を摘出すれば、障害が残るかもしれない。しかし、摘出しなければ命が危ない。」厳しい選択肢を前に悩み続ける日々だ。澤村先生は、どんなに幼い子どもでも直接インフォームドコンセントをして、病状や手術方法などを丁寧に説明する。子どもが生きる力を取り戻すために病気を受け入れ、闘う覚悟を持つことが必要だからだ。「生きることを決してあきらめない」という‘命の約束’が交わされる診察室。子どもの人生を背負って病と闘う一人の医師、そして懸命に生きようとする子どもたちの姿から、当たり前に生きられることの尊さが浮かび上がる。

澤村豊先生が、本当に自分の全てを削って子ども達の為に捧げていて、聖人というのは、大仰なところにではなく、世界にちゃんといるんだということを感じました。お医者様(医療に従事される方々)は、人の病を癒し命を救う本当に貴いことをなされていると実感しました。

今の僕がなんとかこうやって気持ちを落ち着けて文章をかけているのも、僕の状態が酷く悪くて食べれず動けないときに、緊急で受け入れてくれて的確な治療をなさって下さっている先生のおかげですし、過去にも病気や怪我のときに助けてもらい、医学とそれによって人を救うことは本当に貴いことだと心から実感しました。いい番組でした。NHK総合7月11日(金)午前3:40〜に再放送しますので、よろしければ、ご視聴お勧めいたします。

一生懸命頑張りますので、ご支援いただけると、本当に助かります。

先日は動揺した文章を書いてしまいすみません。僕はネットとアルバイトで暮らしていたんですが、先日、ネットの辛いことからブログを閉鎖してしまい、そこからの収入がなくなってしまったのと、心痛が動けなくなって、うつ病になってしまい、頭から辛いことが離れず働くこともできなくなり、不眠とものが食べれなくなり、体重がどんどん減って(10kg近く減りました)、家族に助けてもらって、凄くいい的確なお医者さんに助けられて、今も色んなお薬を飲んでいます。ただ、僕の大事な家族もその後、病気になってしまい、緊急に入院して、今は良くなりましたが、医療費・今後の入院費とかかかって、僕が働けない上に僕の医療費もかかかって、僕がブログ閉鎖して働けなくなって収入を失ってしまったせいで、とりかえしのつかないこと(閉鎖してしまいamazonからの収入も三分の一以下になりました)してしまって貯金崩して生きていますがお金が本当にないんです。(仕事探していますが、うつ病なので、休養するように云われていて)本は図書館が使えてネットでなら、うつ病でも文章を書けますから、やさしくて、みんなの心が豊かになるような文章、頑張って書いていきますから、(まだ、恐怖心とか不安とか強くてうまく文章書けなくて、どうしても書けなかったらごめんなさい)どうか、amazonでお買い物して下さったりして下されば、心から感謝致します。どうか、助けて欲しくて、こちらのサイトやブログにリンクとか張って頂けると、本当に助かります。サイトもブログもどこもリンクフリーです。ご迷惑をお掛けし、本当にごめんなさい。

最後に渡辺昌拓先生の「うつ病は治る」から引用いたします。励まされました。

本書のなかにたびたび引用したピューリッツァ賞受賞作家スタイロンは、自己のうつ病体験記の『見える暗闇』の最終章を次のように結んでいます。

「このはかりしれない試練をもっとも忠実に表現する広大な隠喩」はダンテの『神曲』の書き出しの詩句」であろう。

人生の旅路のなかば、
我は入りぬ、暗き森に。
正しき道を失えばなり。

「鬱病を体験した大部分のものにとって、鬱病の恐怖は圧倒されるほど大きく、言葉ではとても言い表せない」「しかし鬱病は魂を絶滅しないし、その真実を強調するのに嘘めいた、また神がかったひびきをもたせる必要はない」「この病気から回復した男女、しかも数え切れないほどの男女が、おそらく鬱病のただひとつの救いである恵みの証人である。鬱病は征服できるのだ」。「鬱病の暗い森に住んだことがあり、説明のできない苦悩を知っている人たちにとって、奈落の底からの帰還は、詩人ダンテが地獄の暗い底から上へ上へと向かってとぼとぼと歩き続け、ついに、輝ける世界と見えたところへ現れ出でたことに似ていなくもない。そこでは健康を回復した者だれしもが、のどかさと喜びを感じる力をほとんどいつも取り戻す。それが「絶望を超えた絶望」に耐え抜いたことへの、それなりの補償なのかもしれない。「かくしてわれら出で来て、ふたたび星を見ぬ」と。
(渡辺昌拓「うつ病は治る」)


鬱病の人、ほか全ての病に苦しむ人が一日も早く治ることを祈ります。

うつ病は治る―患者さん・ご家族のために


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すみません

追記:訳書きました。
色んなことが本当に大変で、凄く困っていて、よろしければ、amazonで買って頂けると助かります。更新できなくなるかも知れませんが、その時はごめんなさい。

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梶井基次郎「瀬山の話」夜眠れないときに

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梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)


梶井基次郎全集を読んでいました。心が辛くてまだあまり読めないのですが、梶井さんのとても静かで綺麗で穏やかな哀しさのある話とかは、少しだけ気持ちを落ち着けてくれます。夭折された梶井基次郎さんは残した作品が少ないので、全集一冊で全てが読めるのですが、読んでいて、僕は「瀬山の話」が好きだと感じました。有名な「檸檬」の原型なども入っている物語ですが、「瀬山の話」の方が、いかにも文学作品然としてきちんとした作品に仕上げてある「檸檬」よりも、僕は好きです。夜眠れないときの話とか、眠れない人にとっては面白くて参考になるんじゃないかなと思います。少し引用いたします。

心労は生理的なものになって日がな一日憂鬱を逞しゅうしていたのだが、それが夜になってきて独りになってしまうと虫歯のようにズキンズキン痛み出すのだ。私はしかしその頃私を責め立てる義務とか責任などが、その厳めしい顔を間近に寄せて来るのを追い散らすある術を知るようになった。

何でもない。頭を振ったり、声を立てるかすれば事は済むのだ。――しかし眼近にはやって来ないまでも私はそれら債鬼が十重二十重に私を取り巻いている気配を感じる、それだけは畢竟逃れることは出来なかった。それが結局は私を生理的に蝕んで来た奴等なのだ。

それが夜になって独りになる。つくづく自分自身を客観しなければならなくなる。私は横になれば直ぐ寝ついてしまう快い肉体的な疲労をどんなに欲したか。五官に訴えて来る刺戟がみな寝静まってしまう夜という大きな魔物がつくづく呪われて来る。感覺器が刺戟から解放されると、いやでも応でも私の精神は自由に奔放になって来るのだ。その精神をほかへやらずに、私は何か素晴らしい想像をさそうと努めたり、難しい形而上学の組織の中へ潜り込まそうと努めたりする。そして「ああ気持よく流れて出したな」と思う隙もなく私の心は直ぐ気味のわるい債鬼にとっ捕まっているのである。私は素早く其奴を振りもぎってまた「幸福とは何ぞや!」と自分自身の心に乳房を啣ませる。

しかし結局は何もかも駄目なのだ、――そのような循環小数を、永い夜の限りもなく私は喘ぎ喘ぎ読み上げてゆくに過ぎない。(中略)

そんなことから私は一つの遊戯を発見した。それもその頃の花火やびいどろの悲しい玩具ないしは様々な悲しい遊戯と同様に私の悲しい遊戯として一括されるものなのだが、これはこの頃においても私の眠むれない夜の催眠遊戯であるのだ。

闃として声がないと云っても夜には夜の響きがある。とおい響きは集ってぼやけて、一種の響を作っている。そしてその間に近い葉擦れの音や、時計の秒を刻む音、汽車の遠い響きや汽笛も聞える。私の遊戯というのはそれらから一つの大聖歌隊を作ったり、大管弦楽団を作ることだった。

それはちょうどポンプの迎え水という様な工合に夜の響のかすかな節奏に、私のほうの旋律を差し向けるのだ。そうしている中に彼方の節奏はだんだん私の方の節奏と同じに結晶化されて来て、旋律が徐々に乗りかかってゆく。 その頃合を見はからってはっと肩をぬくと同時にそれは洋々と流れ出すのだ。それから自分もその一員となり指揮者となりだんだん勢力を集め この地上には存在しない様な大合唱隊を作るのだ。

このような訳で私が出来るのは私がその旋律を諳んじているものでなければ駄目なので、その点で印象の強かった故か一高三高大野球戦の巻は怒号、叫喚、大太鼓まで入る程の完成だった。それに比べて、合唱や管げん楽は大部分蓄音器の貧弱な経験しか持たないのでどうもうまくはゆかなかった。しかし私はベートオーフェンの「神の栄光……」やタンノイザーの巡礼の合唱を不完全ながらきくことが出来たし、ベートオーフェンの第五交響楽は終曲が一番手がかりのいいことを知るようになった。しかしヴァイオリンやピアノは最後のものとして殘されていた。 (中略)

寮歌の合唱を遠くの方に聞いている心持の時、自分の家の間近の二階の窓に少女が現われてそれに和している、――そんな出鱈目があった。あまり突飛なので私はこの出鱈目だけを明瞭り覚えている。

しかし出鱈目はかえって面白い。まるで思いがけない出鱈目が不意に四辻から現われ私の行進曲に参加する、また天から降ったようにきまぐれがやって来る、――それらのやって来方が実に狂想的で自在無碍なので私は眩惑されてしまう。行進曲は叩き潰されてしまい、絢練とした騒擾がそれに代わるのだ。――私はその眩惑をよろこんだ。一つは眩惑そのものを、一つは真近な睡眠の予告として。
(梶井基次郎「瀬山の話」)


僕も非常に辛いとき、睡眠薬に頼っても眠れないんですが、そのときに、時計のチクタクという音を、音楽に見立ててゆくというのは、とてもいい感じだなと思いました。眠れないときに、この文章を思い出すと、ほんの少しだけ、ほっとします。

梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)

書くこと

今日、とても辛いことがあって、僕は以前とても辛いことがあって、それ以降、心身の調子を崩しているのですが、このブログは新しく始めて、それで、辛いことは頭を離れないけど、このブログ楽しかったんですね。でも、今日、凄く辛いことあって、このブログ書くのも、僕は文章書くの大好きで猫が凄く大好きだから、楽しかったんだけど、それでもブログ書くのが辛くなることがあって…。

でも、ブログ止めないで、続けて行きたいなと思います。今までや今日の辛いことが頭をよぎったりすると思うけど、それでも、頑張って書きたいなと思います。楽しいこと、書くのが好きなんですね。だから楽しいことを書きたいと思うし、書くぐらいしか、できることがないので、書いていきたいなと思います。皆さんに少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。

僕の好きな作家のディケンズの作品「大いなる遺産」の好きな台詞紹介します。人間のできることやなすべきことを感じて、好きな台詞です。辛くても書きたいということを、感じさせてくれました。

ジョー・ガージャリ
「なあ、ピップ、世のなかというものは、いろんなものが結びついてできてるといっていいと思うよ。鍛冶屋になるものもあれば、銀細工屋になるものもあるし、金細工師になるものもいる。また銅細工師になるものもあるだろう。こういうふうに、みんなのあいだに分業が生まれなくちゃならんし、また生まれたようにうけとらなくちゃならん。きょう、なにか落度があったとしたら、そりゃわしの落度だ。おまえとわしは、ロンドンでいっしょになるべきもんじゃないんだ。ロンドンばかりじゃない。うちうちで、よくわかりあって、友達同士理解できるところのほかは、どこだっていけないんだ。わしはなにもいばっていっているわけじゃない。ただ正しくなりたいと思ってるだけだ。そして、わしはこんな服を着て二度とお前にお目にかかりはしないだろう。わしが、こんな服を着るのは間違っている。わしが鍛冶屋からはなれたり、台所からはなれたり、いや、沼地から離れるのは、間違っている。
もしわしが仕事着を着て、鉄槌を、いやパイプでもいい、手にもっていたら、おまえはわしにこの半分も落度を見つけはしないだろう。それから、かりにおまえがわしにあいたいと思ったとして、もしおまえがやってきて鍛冶場の窓からのぞきこんで、鍛冶屋のジョーが焦げ後だらけの前掛けをつけて、昔ながらの鉄敷にむかって、昔ながらの仕事をやっているところを見たとしたら、この半分もわしに落度を見つけはしないだろう。わしはおそろしく頭がにぶい。が、とうとうなにかしら正しいことをこれからたたきだしたことと思う。
じゃ、さようなら、ピップ、さようなら!」
(ディケンズ「大いなる遺産」)

僕もジョーみたいに、なにかしら楽しいことできて(書いて)、辛いことが、今はひどいけど、それがだんだん薄れて、楽しいことを楽しめて、それを書いて、皆さんにも楽しんでいただけるようになれたらいいなと思っています。

大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫)
大いなる遺産 (下巻) (新潮文庫)

ブライアン・P・クイン「「うつ」と「躁」の教科書」」読んでます

これ、大切な友達に教えてもらった本(本当にありがとう)で、苦しいときに読んでます。うつ病の実践的な詳しいことと辛いときの対処法が載っていて良い本です。ありがとう。

うつ病の人にとって、考えないようにするという努力は必ず失敗する。患者の脳は、そうはたらくしかなくなっているのである。

不快な思考をどうにかしてやろうとする方法は、うまくいかないばかりか、うつ病の人には逆効果である。その理由は二つあり、第一の理由はしごく単純である。つまり、何かを考えないようにするということは、考えないようにすると考えていることで、結局、心はそのことに囚われている。第二の理由はうつ病の人は自己批判的になりすりるというところにある。「問題を考えるのを止めろという友人のアドバイスは間違っている」などとは考えず、「自分に間違ったところがある。私の心は弱いんだ。このパターンから抜け出さなくは」と考えるものなのである。そしてさらに意気阻喪して、憂うつになる。

そこで、もっと穏やかで受動的なやり方のほうがうまくいくかもしれない。仮に以下のやり方がうまくいかなかったとしても、患者のせいではないということを忘れないように。単にこの方法が良いやり方ではないというだけのことかもしれないのだから。

穏やかに「意識を逸らす」アプローチは、基本的に次のように考えるようにするところからスタートする――うつ病が適切に治療されないうちは、頭のなかに非現実的な不安や、しつこい自己不信や、つらい自己批判や、苛立ちや、陰気な考えが浮かんでくるのは防ぎようがない。これはうつ病の症状であって、熱がインフルエンザの症状であるのと同じである。残念な考えかもしれないが、すくなくとも自分でどうにもならないことに対して、不当な責任感を抱かずにすむ。

次に、患者の心の中に、自分が正当な理由もなく落ち込み、心配し、苛立っているということを理解している部分が、ほんのわずかでもなければならない。そのわずかな合理的意識を利用して、気持ちを別の方向に向けるのである。もし全面的に問題を考え続ける気持ちしかないのなら、意識を逸らすことなどできはしない。

自分のなかに不快な思考や感情があることを認め、それがうつ病の症状であると考えられるようになったら、少しずつ、意識の焦点を他に移していくことを試みる。問題の思考が頭の中に浮かんでくることは防ぎようがないだろうが、うまくいけば、ときおり他のことを考えられるかもしれない。注意すべきは、うつ病のときは、心の中の声が、今心配し、落ち込み、苛立っていることに注意を向けるのが大切だと休みなく訴えかけてくることである。この心の声にはとても説得力がある。けれども、少しでもその声を信じてはいけない。不快で強迫的な思考や感情から注意を離せば離すほど、その声は小さくなる――少なくともしばらくは。いったん注意を逸らしたら、それで終わりと思わないほうがよい。最初のうちは、この努力を何度も繰り返さなければならないだろう。意識を逸らしたと思っていても、ふと気がつくと、もとの心配や、不快なイメージや感情が戻ってきているのである。

中程度より軽いうつ病で、何か楽しめることのある人は、その楽しいことや、自分が立派に感じられること、幸福感を高めてくれることなどに意識を向けてみる。子どもがいる人なら、自分が人生で何も成し遂げていないという思いに苛まれているとき、子どもと遊んでみるといい。子どもたちのほほえみ、走り方、たわいのないおしゃべりやしぐさ。そんなちょっとしたことに目を向けてみよう。心配事や、自分のダメさ加減に気持ちが戻ってしまっていることに気づいたら、まず、うつ病のはたらきだからそれはしかたがないことと受け入れ、それから穏やかに注意を子どもたちに向け直す。子どもがいない人や、ほとんど何も楽しいと思えなくなっている人は、日常の雑用に注意を向けてみよう。心配事に気持ちが引き戻されたときは、何度でも注意をむけなおさなければならない。これは正常なことなので、あきらめずに続けること。繰り返しているうちに、だんだん注意を向けなおせるようになっていくものである。

心配したり、憂うつになったり、苛立ったりしているのが、うつ病のせいできちんとした理由もなくそうしているのかどうか、自分でもはっきりしないときには、信頼できる家族や友人、セラピストに話をするといいだろう。うつ病で生まれる考え方は、なかなか巧妙にできていて、その思考や感情が本当はうつ病の症状であることが見抜けないことがある。そんなとき他人の見方はとても参考になる。

適切な治療を受けいていたとしても、うつ病の人というのは、本人が望んでいるほどストレスに強くなく、ストレスのもとで不快な気分を抱きやすい。気分障害とは基本的に、ストレスに対する許容量の先天的な不足であるということを思い出して欲しい。たいていのひとは身体のホメオスタシスのメカニズムが働いてバランスをとっているが、うつ病の人では、このメカニズムに、気分を安定させる仕事をこなす十分な能力が欠けている。脳の生化学機能がわりあい簡単にバランスを崩してしまうのである。人と話すことにより、いろいろなバランスを維持しやすくなる可能性もある。
(ブライアン・P・クイン「「うつ」と「躁」の教科書」)

今日、凄く辛いことがあって、お腹が痛くなって下してしまって、ずっと腹痛が続いてて、凄く辛かったんですが、この本、とても優しく真面目にうつ病の人向けに書かれた医学書でこれ読んで、まだ腹痛ひどくて辛いですが、少し楽になりました。助けてくれる人がいて、本当にどうもありがとう。

「うつ」と「躁」の教科書

気持ち

今日、朝、凄く辛いです…。
どうしたらいいかわからない…。

辛いこと書いちゃってごめんなさい。
なるべく楽しいこと書きたいなと思います。

水木しげる「神秘家列伝」大きな見えない存在たちと共に生きる

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水木しげる「神秘家列伝」

水木しげるさんの「神秘家列伝」ずっと読んでました。この本辛い気持ちのときでも読めて、それが、天啓というか、ハッと分るような形で降りて来て、それどうしても伝えたいと思いました。

この本で、水木しげるさんは無数様々なありとあらゆる「目に見えない様々な存在」について肯定的に語っていて、そういう存在と向き合った人達について語っているんですが、そういう存在は世界の救いなんですね。

人間は不完全で、沢山の不運不正に苦しめられて、自分が誤ってなくても弾圧されたりする(神秘家列伝にもそういう苦しむ神秘家沢山出てきます)、だけど、目には見えない沢山のもの、大きな沢山のもの、そういったもの達と人間と動物と植物で地球に暮らしているってことは、人間の世界の尺度だけじゃなくて、人間の不運不正に苦しめられても、そういったことを、別の「見えないもの」の世界も見ていてくれているってことなんですね。

嬉しいとき、みえないものが一緒にいてくれて、嬉しさを共にしてくれていて、苦しいときは、その不正な苦しみのことを知っている見えないものが、一緒に悲しみ苦しんでくれている。そういう、大きな世界、みえないものたち、人間だけの世界じゃなくて、もっと大きな世界として世界があるんですね。

これは、人間の不正と苦しみの世界よりも、ずっと大きな、素敵な世界だと僕は思います。神秘家列伝に出て来る女神様の長南年恵さんの話とか、僕は大好きです(年恵さんの話読んでて、ネパールの女神様クマリを思い出しました)。近年の歴史学の本「世界女神大全」「古ヨーロッパの神々」「女神の時代」等に出て来る紀元前の神話的な女神文化(母権制で武器が発達しておらず、戦争と略奪ではなく、宥和と信仰によって文明が成り立っていたとされる神話的な「黄金の時代」)が僕は大好きなんですが、水木しげるさんの描く世界にも、そういう「黄金の時代」のような、人間よりおおきいものたちと生活している息吹があって、そこには、人間達の不正や悪による苦しみが、人間より大きなものによって、救われていて、すごくいいなと感じました。それは、人間だけの現代文明より、ずっとずっと優しい暖かい繋がりがあると僕は思います。僕はおおきなものを大切に貴く感じます。

伊藤俊太郎
「(旧石器時代は)トーテミニズムとプレアミニズムが基本になっている。………(時代が進んで農耕が開始され)旧石器時代のヴィーナスたちは、新石器時代になると大地や豊饒をもたらす女神たちに変貌する。そしてそれを著したのが、マリヤ・ギンブタスです。彼女は古ヨーロッパというものを考えた。紀元前6500年頃から紀元前3500年の間、これはまさにヨーロッパで農業革命があって、かなり豊かな定住生活がなされた。
そして、そこにおける社会の本質的なものは母権的なものであった。それは、平和というものを原理としていた。戦争というものを思わせるものが何もない。武器が何も出てこない。そしてただ、女神らしきものが妊娠している。あるいは女神が、牛を生んでいる。チャタル・ヒュユクの牛は豊饒生産の象徴を表している。この文明は、平和で、階層がそんなに強くない。住居が同じぐらいの大きさで、本質的に母権制である。ケニヨンが発掘したエリコもまた、チャタル・ヒュユクより少し新しいが、ほぼ同時代の農耕革命が拡大した共同体で、都市の一歩手前。これも同じく母権制ですね」
インタビュアー
………「――古代世界では女性が中心になっていたという発見は、考古学史上では、革命的なことでしたよね」
(水上洋子、葉月純「女神の時代」)

吉崎一美も、「クマリは初潮前の童女に宿った女神タレジュ(ヒンドゥー教徒はその本身をドゥルガー、あるいはパールヴァティーとする、彼女らはいずれもシヴァ神の妃とされる。仏教徒はそれをヴァジュラデーヴィー、すなわちヴァジュラヴァーラーヒー女神とする)への信仰によって成立するが、この場合に女神は童女の身体を壷としてそこに宿る(憑依する)のである。こうして童女の額には女神の存在を示す第三の眼が描かれることになる」と書いている。神を、神そのものとして祀るのではなく、神を宿した容れ物として崇拝の対象にするのは、インド・ネパール社会においてはかなり普遍的なことのように思われる。………
クマリ信仰の萌芽がすでにリッチャビ王朝の時代に見られることは、いまや否定できないことのように思われるが、幾度かに渡るヒンドゥー教の影響や仏教の変遷にさらされて、その姿を大きく変えてきたこともまた確かであろう。そうしたなかで、クマリそのものが観音の化身となったということはいかにして説明できるのであろうか。
(植島啓司「処女神」)

水木しげる
「上の方は神だけれども、下の方とか、中間にはいろいろな精霊や怪物がおり、面白いと思う」
「あんたそれ妖怪のこといってんですか」
水木しげる
「いや妖怪だけじゃないよ。いろいろ目に見えない取り憑くものもいたりして、人間はある程度そういうものに支配されているような気もする」
「自分はナニかということになると」
水木しげる
「そう人生も八十近くなってくると、いろいろなことがわかって面白い」
「ソレ少しボケたんじゃないの」
水木しげる
「……と思いたいけれども、今回のこういう話をみると我々の人生があまりに短いためにわかりにくいのだと思う。そう前に書いたようにめしのために時間をとられすぎるのだ」
年恵さんのように邪心のない素直な心だとカミもよりつくのだ。そう私が海外に行って精霊を呼ぶ「小歌」を聞かせてもらうときみんなの顔を見ると とても純真だ
なんだろうとかそんなのいるわけないだろうという心にはわかりにくいのだろう。

宇宙というよりこの地球には、「見えない存在」というものがいて我々に働きかけたりするが、従来の大宗教に染まらない目でこの「見えない存在」を見ると、また新鮮に見えてくる。いずれにしても、そういう神秘的なことというのは昔の官憲のように(科学的ではないという理由で)弾圧しないで、やはり観察すべきではないかと思う。
(水木しげる「神秘家列伝」)

参考リンク
女神ホロたんと「世界女神大全」 −賢狼ホロの子供達−

参考作品(amazon)
水木しげる「神秘家列伝」

水木しげる著作一覧

アン・ベアリング、ジュールズ・キャシュフォード「世界女神大全 機

アン・ベアリング、ジュールズ・キャシュフォード「世界女神大全 供

マリヤ・ギンブタス「古ヨーロッパの神々」

ジョン・A・フィリップス「イヴ その理念の歴史」

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みけにゃんProjectさん 嬉しい出来事を書く

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みけにゃんProject〜認知療法で憂うつな気持ちとバイバイするにゃ〜

このHP、僕にとって出会えて良かったHPです。僕も、辛いことがどうしても頭から離れなくて何も楽しめなくて、前みたいに物事を楽しめるようになりたいな、この辛いの少しずつでも直したいなと思っていて、このHP読んでこれ頑張ってみようと思いました。

今日見つけた嬉しい出来事を書く意味

これ、毎日できるかどうかわからないけど、その日嬉しかったこととは日付がずれると思うけど、やってみたいなと思います。何もしてないと辛いことばかり考えてしまって、動けなくて辛いので(お薬のおかげで少し楽です)、辛いことが頭から離れなくても、楽しいこと、嬉しかったこと、思いたいです。

僕が、相手に嘘付かれて陥れられたとき、どうしたらそれ証明できるかわからずにずっとそれが頭にあって苦しいとき、僕のこと友達や家族が無条件に信じてくれて、それで、僕にとってとても大切な友達とそのこと話してて、僕のこと信頼して信じてくれる人大勢いるよって励まされて、それがとても嬉しかったです。

働けなくなっちゃって、家族とか友達とか周囲の人に迷惑かけているのも辛いですが(今は僕が貯めた貯金を崩して生活しています)、でも、凄く、周囲の人の優しさに触れたことが、嬉しかったです。

あとねこ、ねこなでなでしたりブラッシングしてごろごろすると、嬉しいです。

少しでも、自分を良くしていきたいと思います。
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