2008年07月20日 00:44

昨日、午前中調子が良かった(あまり辛くなかった)ので、以前買い取って貰えなかったもの(例えばブックオフは商品価値がないとみなした本、エロマンガ雑誌、エロゲー雑誌等は買い取ってくれません)を自転車にくくりつけられるだけくくりつけて売りに行ったのですね。頑張って行ったのですが、やっぱり買い取れないのもあって(雑誌は売れました)、3000円にしかならなかったのですが、(LOのバックナンバーとかもう手に入らないであろうことを思うと辛いです…)その後、家に帰ってきて、DVDプレイヤー(HDDレコーダーではなく、DVD再生専用プレイヤーです)とAIWAのミニコンポを売ろうと思って、夜、荷造りしていたんですね。ミニコンポなくてもCDラジカセがあれば音楽は聴けるので。

それで、ここからが僕の莫迦なところなんですが、スピーカーとか本体とかDVDプレイヤーとか、バラバラのまま玄関まで持っていって荷造りすればよかったんですが、その場で荷造りしてしまって、しかもミニコンポとDVDプレイヤーいっぺんに運んでいたら…

グキッっというのと、ズキッというのと、両方が腰に凄い激痛が走って、僕は以前、荷物運びのバイト(事務で雇われた筈なのに実際は荷物運びでした)で腰を痛めたことがあるので、ああ、これがギックリ腰だって分かって、痛みとギックリ腰になってしまったということで、ガクッと来てしまいました。

今、お金がないから家にあるシップ(三枚あります)張って横になって治すしかないんですが、痛くて全然ねむれないんですね。歩き方もへっぴり腰のよちよち歩きしかできないので、家電、売るのは無理かなと…。

それで、お金ないからお金作ろうとしてギックリ腰になって痛くて痛くて不眠なのがよけい眠れず、しかも病院にも掛かれない(医療費の余裕がない)という状況を思うと、もう、どん底過ぎて、なんかユーモラスに感じてきました。勿論、抗うつ剤の作用もあると思うんですが、僕はもう、どん底的な状態になると自分に対する笑いがでちゃうタイプみたいです。メフィストフェレスが喜びそうな喜劇的などん底のシチュエーションですし。

ゲーテの「ファウスト」と、池内紀さんの「悪魔の話」の逸話を思い出しました。引用致します。

思わず(ファウストに出て来る)皇帝は呟いた。
「するとこの紙片が人民には金貨の代わりに通用するのか?軍隊や宮廷の者たちの給与が、すっかりこれで払えないのだな?これは、まことに奇怪な話であるが、認めないわけにはゆかない」

このとき、メフィストはひやかしたものである。

「なにも、財布や金入れなんぞ持って歩かず、
お札一枚、胸ポケットに入れておけばいいのです。
恋文なんかも一緒にいれとくといいですよ」

これ(お金)はまことに重宝なもので、坊さんですら「祈祷書にはさんで持っている」。

メフィストの発明した「紙切れの眩惑」こそ現代の守護神である。この「神」を獲得するのに、祈りや良心は役立たない。いっときも休まない欲望が何よりの動力だ。いまや僕たちは、好むと好まざるとにかかわりなく、この神の御前に跪座しないではいられない。

のちの世の人々は、きっとこの二十世紀を支配した拝金主義の猛烈さに驚くだろう。金銭は全てのものから、ものの個性と象徴性を奪いとる。つまりはその「魂」を剥奪する。これは何であれ姿を変えることができるし、すべてに入り込むこともできる。しかし、何ものでもない。金銭はすべてを支配して、何ものも愛さず、すべてを知っていて、しかし何ものも信じない。

歩合、投機、買占め、先物買い、目算、金策、担保、抵当、破産、訴訟……いまやすべてが悪魔の発明品をめぐって動いている。そして、大都市ごとに証券取引所という聖堂がそびえ、町角ごとに銀行という礼拝堂は軒を接している。かつて経済学者のコントは、未来国家の世俗的支配者の筆頭に銀行家を想定したが、その未来はとっくに現実になっている。今日の礼拝堂では、番号一つで「機械仕掛けの神」を呼び出すことができるし、クレジットカードがここの信仰(クレド)というわけだ。もしかして後世の歴史家は、この二十世紀の世紀末を「金銭淫乱症時代」とでも名づけるのではなかろうか。

拝金主義の時代が金をうやまうのは、それでもってものが買えるせいではないだろう。金銭こそ運命の星であって、それがようやく生存の意味を与えるからだ。かつて人間の運命の星は胸にあった。だが、もはやそれは胸にはない。胸の内ポケットにある。

内ポケットに秘めた「紙切れの眩惑」こそ、われらの運命の星である。この星は電話ひとつで二倍にも五倍にもなる。夜なお眩しい人工の光の都の頭上高く、時代の悪魔が歯をむき出してほくそそえみ、人類は失われた魂のために泣いている。
(池内紀「悪魔の話」)

これは二十世紀に書かれた文章なので、現代二十一世紀はコントの予想より先を行ってますね。グローバルな投機マネーが世俗的支配者の筆頭になり、銀行と違って国家や国際的な連携の統制が利かず、誰も止められないブラックホールです。日本はスタグフレーションに落ち込み始めていますし、日本もどん底に向かいつつ、世界もどん底(莫大な金を動かす投機家・投機金融ファンドにとっては、頂点でしょうが…)って感じがしますね…。

今の僕がどん底(金を作ろうとして逆にギックリ腰になってしまい、医療費勿体無くて医者にもかかれない)な気持ちだから、それが世界に投影されてしまっている部分もあると思いますが、それでも、客観的に考えても、これから失業者・貧困者・病者・障害者にとってはますます厳しい極寒の時代になると僕は思えます。

ただ、抗うつ剤のおかげだと思うのですが、自分の状況があまりにどん底でしかもチャップリンの喜劇のようなどん底(お金に困りお金を作ろうとして更に失敗してお金に困る)なので、なんかもう、世の中は流れていく、なるようにしかならない、明日は明日の風が吹く、みたいな諦念した心境になってきました。

幸い、皆様のおかげでウイダーインゼリーは沢山買ってありますし、病気で無職ですがまだ現金も数十万あるので、生きられる限りはねこたんと一緒に生き延びてみようと思います。猫の餌もちゃんとあります。

いつの日か、もし、生き延びられて、余裕ができるようなことがありましたら(その可能性は低いですが、希望は決して捨てません)、そのときは「どん底日記」でも書いて、自費出版でもなんでもいいから、本を出してみたいですね…。僕は、うつ病で無職で収入がアフィリエイトとギフト券しか現在はなく、貯金も色々売って数十万ですが、ネットがあるから、こういうことが書ける訳ですね。もっと貧しい人は、繋がること、示すことさえできない、僕もいつそうなるかわかりませんし、失業者、貧困者や貧しい病者を生存できなくしていく、こういう社会に、蟷螂の斧でもいいから、文筆の力でせめてペンを掲げたい、それが今の僕の希望です。

参考図書(amazon)
悪魔の話 (講談社現代新書)
ファウスト〈第1部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
ファウスト〈第2部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

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2008年07月19日 07:08

先日のエントリを書いた後に本を読んで知ったことなのですが、ストレスのメカニズムについて説明した本によると、辛いときに、それでも周囲を励まそうと笑顔を浮かべる(心は泣きながら、周りの人の為に明るく振舞う・笑顔を浮かべる)のは、周囲の人々にとってはとても優しいことですが、自己犠牲的な行いでもあり、非常にストレスが蓄積される行為であるそうです。ですから、ストレス耐性が強く利他的な、強くて本当に優しい人にしかできないことなんですね…。

悲しいときに(周囲を励ますために)つくり笑いをするとストレスになる。人は喜怒哀楽で感情表現している。カラダが食べた物を排出するように、嬉しいことも悲しいこともココロに溜め込まずに、素直に表現するのが(ストレス解消に)よい。ココロが健康だからこそ悲しさも感じられるのだ。それを押し殺してつくり笑いをするのは、一見カッコよさそうだが、(自己犠牲的・利他的な)強烈なストレスになるだけだ。「どんなときでも笑顔を欠かさない素敵な人」にあこがれる人も多いが、それは上手にストレスをコントロールしている(自己犠牲的な優しさとストレス耐性が高いメンタルの強さがある)からこそできる技なのだと心得よう。悲しいときは悲しさにどっぷり浸かり、その感情を吐き出してしまうこと。それからゆっくりと回復していけばよいのだ。
(本山真「読むサプリ ストレスを和らげる」)

ですので、周囲を励ます為の笑顔は、利他的な貴いことと思いますが、決して無理をせず、皆様のご自分のご心身をまずは一番に考えて、大切にしてください。僕みたいにうつ病(うつ病の発病トリガーの多くはストレスです)になってしまったら大変なので、皆様に早く伝えなければと思い、本文書かせて頂きました。皆様、無理をせずご心身を休めて、お身体大事にして下さい。メンタルもお身体の一部でありますので、どうか大切にして下さい。

個々人のストレス耐性には、個人差があるので、ストレスを感じにくい、ストレスを上手にコントロールできる、メンタルの強さを持った人は、そのストレス耐性の強さを周囲に分ける(周囲に優しくする)ことができる、そういったことができる人は、その行いは貴いと心から思います。しかし、そういった強い人も、決して無理をせず、疲れた休養をとることが、とても大切です。皆様、ご心身を、どうかご大切に。

また、以前何度か、うつ病になってから僕の音楽の趣味が変わったことを書きましたが、これはうつ病に限らず、悲しいとき、悲哀にくれているときは、その自分の気持ちと同質の音楽を聴くのが心が和らげるそうです。僕も寝る時に、床に入りながら100曲クラシックの「ショパン・ベスト」や「ヒーリング・ベスト」を聴きながら寝るようにしていて、少しずつ眠れるようになっています(まだ睡眠時間は短くあまり眠れませんが…)。「同質の原理(アルトシューラーの理論)」と云って、辛いときに、元気のある音楽を聴いたりするのは逆効果だそうです。

落ち込んだときに、いくら元気のいい音楽を聴いても逆効果。うつの人に禁句の「頑張れ」といっているようなものだ。気分が沈んでいるときは、自分の気持ちと同質の音楽を聴いてひたすら共鳴し、気持ちを代弁してもらうと心がほぐれてくる。これを「同質の原理(アルトシューラーの理論)」という。
失恋したときは、中島みゆきの歌を聴くのが利に適っている。悲しいときは我慢しないで、思いっきり泣けばいいのだ。その方が回復も早い。ただいつまでも暗い曲を聴いていればいいというわけではない(健康な人には気分を変えてストレスを解消し回復してゆく力が備わっている、病気にまで行くとその力が失われる・半減してしまう)。(ストレスが悲しい曲でほぐれてきたら)次は気分が落ち着く静かな音楽、そして元気が出るアップテンポの曲へと段階を経てゆくのがよい(音楽療法)。
(本山真「読むサプリ ストレスを和らげる」)

疲れたときは、休養するのが一番で、無理に元気をだそうとするとよけいに疲れてしまうことがあるので、どうか、ご心身を大切にして、皆様が病気にならないように願っています。

僕は昔から(うつ病発生前から)猫大好きで、今も飼っていまして、猫には本当に気持ちが助けられていますが、動物好きな人が好きな動物を飼うのは、ストレスを解消し回復してゆく力として、とても良いそうです。

疲れて帰宅したときに、自分を待っていてくれるペットがいるのは楽しいもの。動物との触れ合いは、情動を活性化させ気分を和ませる効果がある。世話を焼くのも楽しみのうちだ。生きがいを感じれば精神も安定し、散歩に連れ出すことで運動解消にもなる。人に無愛想でペットにだけ心を開く人が、ペットを介して交友関係を広げることもある。
(本山真「読むサプリ ストレスを和らげる」)

また、チーズスイートホームで描かれるような、子供と動物の触れ合いはアニマルセラピーにおけるとても大切なことなのだそうです。

「アニマルセラピー」
動物を飼うという経験は、人(大人)のココロを癒すと同時に、子供のココロも育てる。生き物との触れ合いを通して、ゲームでは味わえない相手との関わり方や友情、責任感などたくさんのことを学習する。特に、母性が芽生える4、5歳の女児にとっては、育てる喜びが育児のシミュレーションにもなり、情緒教育には欠かせないものだといわれている。(中略)(アニマルセラピーの効果は)病んだ人(僕みたいな心身にうつ病などの病状がある人)のココロを癒すのだから、健常人にはなおのことだ。
(本山真「読むサプリ ストレスを和らげる」)

僕も猫がとても可愛くて、大好きです。特に丸まって寝てるときも可愛いですが、暖かいとき(ちょうど今ぐらいの季節です)お腹を出して四肢を投げ出して無防備に寝てる姿は言葉で表現できないほど可愛いです。ただ、猫は視線に敏感なので、寝てる姿をじっと見てるとすぐに起きてしまい、起こされたことに怒っちゃうから、僕はいつも起こさないくらいの一瞬、猫の姿を見てから、起こさないように猫から離れて、その姿を思い出しています。そうすると、心が和らぐのを感じます。

参考作品(amazon)
本山真「読むサプリ ストレスを和らげる」
100曲クラシック
こなみかなた「チーズスイートホーム」
DVD「チーズスイートホーム」
ぬいぐるみ・ホビー「チーズスイートホーム」
チーズスイートホームテーマ曲「おうちがいちばん」
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2008年07月18日 00:51

子供ができました―yoshimotobanana.com〈3〉 (新潮文庫)

PM9:30に床に入ったんですが、どうしても眠れなくて、不眠が再発してて、寝床に横になってても辛いことばかり考えてしまうので、今から本当に助かった、嬉しかったことを書こうと思います。

僕が本当に心身が参っていたとき、固形物の食べ物が一切受け付けられなくなっちゃった時があり、何も食べ物が喉を通らなくて、このまま消えるのかな、その前に猫を外に出さないと、でも、家猫だから生きて行けるかな、みたいなこと考えていたとき、アマゾンでギフト券頂きまして、それで、「ウイダーインゼリー」っていうの買ったんですね。

昔、これ、濃いジュースみたいな感じで飲みやすかったから、それ注文したら、ちゃんと飲めたんですね。本当に命の恩人と心から思いました。今は、アドレス帳登録とギフト券メールだけしか受け取れない設定にしていて、新規のメールは受け取れなくて、ギフト券メールだけ受け取っている形で、ギフト以外の新規のメールで励ましてくれる方々のメールが受け取れなくて、本当にごめんなさい、申し訳なくて、本当にごめんなさいと思っています。でもそんななか、新規のメールが受け取れないという状態にも関わらずギフト券を贈って下さる方がいて、本当に感謝しています。僕は不安が頭から取れず、それがちょっとした刺激や何もなくても急激に膨らんでうつ病の症状がでてしまうのですが、でも、それが和らいで、本当に助けられています。どうもありがとうございます。言葉にできないくらい感謝しています。

PayPalで直接寄付したいと仰ってくださった方がいて、その方にはメールの制限をした後からもギフト券も頂いて、それでPayPalというのを調べたのですが、クレジットカードがいるみたいで、僕はクレジットカード持っていないんですね。以前、うつ病に掛かる前、クレジットカードの申し込みをしたのですが、審査ではねられてしまって、僕は借金とか一度もしたことないし、犯罪もしていない、前科なんて何もないので、単純に貧乏で口座にお金がないということではねられてしまったのかなと思うのですが、それでクレジットカード作れなくて、PayPalというのは使えないみたいでごめんなさい。僕は携帯電話もなくて(携帯使用料が払えないので持つことができません)その上、メールもどうしても事情があって、アドレス帳登録とギフトのメールしか受け取れないように制限してしまって、本当にごめんなさい。

こういう形でしか、お礼を述べることができないのですが、本当にありがとうございます。人間の命を救ってくれたということで、本当に誇りに思って頂きたいと、心から感謝しながら思います。

僕は国民健康保険(こちらはちゃんと払っていました。僕は昔から病気がちだったので、これはきちんとしていました。僕の仕事の多くは厚生年金に入れないアルバイトや下請け派遣だったので、厚生年金合わせても年金の三分の二足りませんでした)はちゃんと収めていたので、今三割負担で、医療費の負担も、一回の診療とお薬代で何千円も出て行くので、大変ですが、ただ、このまま病気が長引くと精神障害者保健福祉手帳というのが出て、医療費の負担が一割になるので、そうしたら少し楽になると思います。僕は年金三分の二未納なので、障害年金はもらえませんが、医療費が何千円から千円程度になるだけで、すごく助かります。

もし、新聞社さんの人とか、これを見ていたら、うつ病で働けなくて、お金ない人として取り上げて頂けないかなと、そうしたら、新聞社さんから少しだけでもいいので、取材料とか入るかなと思ったんですが、メールも、先の制限をどうしてもやむなく掛けておりまして、メールが届かないので、これもダメで、疲れてアハハって感じです。

今回も暗い話でごめんなさい。よしもとばななさんみたいな強さがあれば、良いな、僕はとても弱いなと思います。最後によしもとばななさんの文章を引用させて頂きます。

(よしもとばななさんは)人から見たら、小説は読まれ、親(吉本隆明さん・吉本和子さん)はかろうじて生きているし、結婚もしているし、健康で、さらに妊婦。なんと恵まれ、豊かな環境にいると思われても仕方ないし、実際そうだろう。だから他人にも優しくしてあげなさいということなのだろう。でもそれに甘んじていては、小説がだれる。その上、私の人生はいつも地獄だったし、それは今でもそうだ。私にとっては生きているだけで地獄なのだ。それはどの状況でも変わらない。

これは、説明する気もないし、人それぞれの問題なので、多くを語る気はない。表に出して甘える気もない。
ただ、その地獄の中にもほんの少しの光や希望がある。ちょっとした憩いのひとときもある。また、何よりもこの地球や自然やその一環としての人というものが、私をひきあげてくれることがある。だから、生命を全うした方がいいよ、というのが、私のいつも書いていることだ。
つまり、いつでも遺言みたいなものなのだと思う。(中略)

昨日も質問のコーナーで「(よしもとばななさんの日記を読むと)毎日とても楽しそうに見えて、とても地獄とは思えない」という素直でいい感じの質問があった。
そうか、やっぱり物事を額面どおり取ってくれる人っているんだな、だから最近よく、幸せそうだとか安定していると言われるんだなあ、といい意味で(本当ですよ)感心した。

まず、文の技術でいえば、全く同じ内容、同じ一日、同じできごとを……たとえば、「今日はディズニーランドに行きました」というのを「とても楽しかったバージョン」「人生の喜びを抽象的に表すバージョン」「最悪、自殺寸前バージョン」「冴えないバージョン」「平凡なバージョン」どれで書けと依頼しても、嘘を書くこともなく実際にあったことのデータですらすら書ける。それは、作家なら誰でもそうだと思う。やれと言われれば、そのくらいの技術、プロならみんなあるだろう。

誰が、どの視点で誠意を持ってそれを好きこのんで描くか、それだけが違いとか個性とか呼ばれるものなのだと思う。

そういう意味では、真実など、この世にないのだと思う。

ただ、どの書き方でも掘り下げれば、何かしら真摯なものが生じる。それを作家たちは目指しているのだろう。

まず、私はこの内面の苦労、山田花子の自殺直前日記みたいな日記をここに書くことをよしとしない。全然したくない。少なくとも、あれとか、あの、手首を本当に切って死んじゃった高校生の女の子の日記とか、真摯だと思うけど、したくない。それは純粋に、好みの問題であって、善悪の問題ですらない。

ここでは毎日の、まあまあ楽しくていいところだけをメモ代わりに書いていこう、としか思っていない。で、公のものだから読んだ人が「なんだよ、身内のことばっかり書いていて、でも、メモがわりなようなだし、それに、他人の日常って、読むとなんだかほっとする」なんて思ってくれればそれでいい。なにせ無料だし、そしてプロだし。これが本になったものを買ってくれる人はお金を出す覚悟があるんだから、それはそれでいいと思う。

そして個人的には確かに妊婦だし落ち着いているのだが、この落ち着きは、人生の底を見た感じの大きなあきらめからくる落ち着きであり、決して陽気なものではない。もちろん愛する家族がいて、充実した仕事があって、それで食べていける。その素晴らしさは身にしみている。でもそれと内面的なものは関係ないし、私はそれを垂れ流すのが大嫌いなのだった。私は数限りない人々に、仕事を通じて会ってきた。そして得た結論は
「楽で楽しそうで幸せそうな人など、いない。みんなそれぞれ大変だ」
というものだ。

「この世界には決して本当の喜びとか満足というものはない。ここは働いて、世話して、求めていくところなのだ」
という、産まれてくる赤ん坊に告げるアステカ族の言葉があるが、全くその通りだと思う。昔の人は偉大だ。ごまかさないもん。

だからこそ、かわいいものとか心救われるものにとても敏感でいられるのだと思う。
(よしもとばなな「子供ができました」)

この本、うつ病になる前も読んだんですが、うつ病になって始めて、本当の意味で感じた、理解できたと感じました。以前、よしもとばななさんのような強さを持つ、KANONというアニメに出て来るヒロイン水瀬名雪について書いたんですが、これも、うつ病にかかる前に書いた文章で、うつ病にかかって始めて、名雪の本当の強さというものに触れた感じがして、言葉では言い表せないような、不思議な、静かな気持ちになりました。

僕はよしもとばななさんや水瀬名雪に比べるとずっと弱いので、きっとまた弱音を吐いてしまうと思いますが、それでも、「ただ、どの書き方でも掘り下げれば、何かしら真摯なものが生じる」ということは、一生懸命、絶対に目指してゆきたいと思っています。

参考作品(amazon)
子供ができました―yoshimotobanana.com〈3〉 (新潮文庫)

「ウイダーインゼリー」
よしもとばなな著作一覧
吉本ばなな著作一覧
京都アニメーション「KANON」
KEY「KANON Standard Edition」
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2008年07月17日 08:25

冷蔵庫のうえの人生

「夏休みなんかいらない。
お母さんが元気になってくれればいい。
クレア」
(アリス・カイバース「冷蔵庫のうえの人生」)

僕の大好きな本「冷蔵庫のうえの人生」を紹介します。お金なくて漫画とかはなかなか紹介が難しいけれど、本は図書館で借りられるので、良い本をこれからも紹介していきたいと思います。

この本は書簡小説ならぬメモ小説で、シングルマザーで一人娘を育てている産婦人科医のお母さんと、その15才になる娘クレアとの物語です。お母さんの産婦人科の仕事がとても忙しく、なかなか二人は時間を共に過ごすことができないので、冷蔵庫の上にマグネットでメモを留めて、それによってやりとりをしているんですね。この本は、そのメモの交流のみで綴られた本です。こんな感じです。

「お母さん
リストのもの、チキンと豆の缶詰のほかは、みんな買ったよ。
今日はちょー さむかった ブルブル。
袋を持つ指がちぎれて落ちそーだったよー。
新しい手袋がほしいなあ。
土曜日にまた買い物に行くというのはどうでしょう?お母さん、今度の週末は休めるんだよね。
クレアより」
「スパゲティ・ボロネーゼを作っておきました。帰ってきたらどうぞ。
母より」
「でがけにこれを書いてます。
今週末は宿直になってしまったの。ごめんね。
母より」
「今夜はエマのところに泊まるね。昨日の夜、お母さん、少し疲れてたみたい。仕事、あんまり無理しないで。
クレアより
心配しないで。鍵は持ったからd=(^o~)=b」
(アリス・カイバース「冷蔵庫のうえの人生」)

こんな感じで母娘、たまには喧嘩もしながらも、なかよく暮らしているんですが…、お母さんが、悪性腫瘍、乳癌になってしまうんですね…。お母さんは、動揺しながら娘に一生懸命それを隠すんですけど、もう転移していて余命幾ばくもないかもしれないことがわかって、それでも娘の為に、午前中は放射線治療を受けながら午後は働いたりしていて、娘は、今まで居るのが当たり前だと思っていたお母さんが、重い病気に掛かったことで、とても心配して、お母さんが娘を愛しているように、自分がいかにお母さんを愛していたかに気付くんですね…。

「クレア
お母さんがこの状態(転移した重い癌)では、夏休みどころではありませんね。この埋め合わせはしますね。いつかきっと
母」
「夏休みなんかいらない。
お母さんが元気になってくれればいい。
クレア」
(アリス・カイバース「冷蔵庫のうえの人生」)

どんどんお母さんの具合が悪くなっていってしまって、余命幾ばくもなく、そのとき、一生懸命、二人でメモを通して(メモからクレアがお母さんを看病し二人が一緒に過ごしていることが分ります)本当に心を開いて、二人とも、本当に愛おしいとてもかけがえのないお母さんであり、愛おしいとてもかけがえのない娘であるということを、二人とも生活の中で、感じて、分かり合ってゆくんですね…。

僕の大好きな作品にAIRという作品がありますが、この作品は、難病の娘と母との愛おしい、かけがえなき絆を描いています。本作は、その逆に難病の母と娘との愛おしい、かけがえなき絆を描いているんですね…。AIRをプレイしたり、見たりしたとき、深い哀しさとともに愛おしさを感じましたが、この本も読了後、そのような気持ちに胸一杯になりました。本当に大切な、かけがえなきものが描かれています。

メモだけで綴られているので読みやすく、そして心を哀しく愛おしく、ふんわりとさせる、とても良い小説だと思います。一読お勧め致します。

「お母さんへ
お母さんの頭にピーターがちょこんと座っている写真を、思い出すとおかしくてしかたがない。あの日のこと、ずっと忘れずにいたい!
お母さんはよくならないかもしれない。そう書いてしまうのは、とってもつらいことだけど、わかっている。なぜ、お母さんと私が、昨晩、そのことを話さなければならなかったのかも。
本当に、本当に、つらい。つらい。
でも、お母さんに心配をかけたくない。
お母さんは、わたしに未来と向き合う力を与えてくれたのよ。

わたしは、最悪に備えながらそれでもなお、最善の未来を信じています。お母さん、それでいいでしょう?

愛と勇気と光、そして抱擁をお母さんに。
クレア」
(アリス・カイバース「冷蔵庫のうえの人生」)

僕は「わたしは、最悪に備えながらそれでもなお、最善の未来を信じています。お母さん、それでいいでしょう?」という一節がとても好きで、涙が滲みました。

冷蔵庫のうえの人生

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先日、非常に精神に堪える辛いことがあり、それに対する対策を全て取りましたので、文章を書くのも辛くて、なかなか更新できませんが、少しずつ更新してゆきたいと思います。生活苦でうつ病で苦しくて、何もない者ですが、皆様に楽しんでいただける、心豊かになるような文章を時間が掛かっても少しずつでも書いていきたいと思います。どうか、これからもよろしくお願い致します。

2008年07月15日 10:16

アフィリエイトとギフト券は、もし頂けると、生活に本当に助かります。応援してくれて励ましてくれて、支援してくれた方々、本当にありがとうございます。深く深く感謝しています。
僕のメールアドレスはこちらです。
ne.ko.tan@hotmail.co.jp

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2008年07月13日 21:02

先日と今日、懸命に思い切りを付けて、自分の持ち物(ゲーム、アニメDVD、CD、漫画等々)を色々売りました。以前、無理に一人で外出した後、急激にうつ病の状態が悪くなったこともあって、一人で外出とかよくないからしないように先生に云われておりまして、僕自身も外に出るのが辛い状況で、売りに行くのではなく、引き取りサービスと郵送を使いました。僕は元々働いてた頃もそんなに収入がなかったので(うつ病で仕事できなくなった今はアフィリエイト以外無収入です、アフィリエイトもアクセス数と比例するので、以前より激減しています、そんななか、買ってくださる方々、ありがとうございます)、僕のうつ病になる前の今までの日常は、だいたい、本は図書館か、図書館で手に入らない本は読んだら売って、アニメDVDはレンタルで見て、ゲームも遊んだらよほど気に入っている作品以外売ってという感じだったので、手元にあるのはみんな物凄く大好きなものばかりで、凄く、辛かったです。

手塚治虫とか200冊ぐらいあったので、もうブラックジャックとか読めないんだなとか思うときつくて…、しかも、本の買取は本当に二束三文という感じで、辛かったです。だけど、一番苦しかったのは、AIRの初回限定版を売っちゃったことで、心に穴が開いたような感じになりました。うつ病の酷いときは辛いこと以外考えられませんが、抗うつ剤のおかげでだんだん回復してくると、うつの症状と抗うつ剤の副作用で性欲とかは感じませんが、ちゃんと、可愛いな、好きだな、愛しいな、みたいな気持ちはきちんと戻ってきて、机の上においてあったカードキャプターさくらのドラマCDのジャケット見て、さくらは本当に可愛いな、大好きだなみたいな感情は戻ってくるんですね。

そういうのを呼び起こしてくれる大切なものもみんな売っちゃって、僕にとって、AIRというゲーム・アニメは特別な存在でそのヒロインの神尾観鈴という娘が本当に好きで、性欲とかそんなこととは一切関係なしに、抗うつ剤で少しよくなってきてからは、本当に心の支えで、言葉では言い表せない程に、大切な、胸の中の女神様のような存在の娘で、それで、売った後はふらふらになっちゃって、物も心なんだと、それを知りました。

以前、こち亀で、両さんがお金を工面するために自分の趣味の持ち物を色々売っているとき、「タコが腹へって自分の足食ってるみたいに辛い」って漏らしましたが、僕は、心の中が、ずんって抜けた感じになりました。僕はゲーム・アニメ・漫画・本・音楽みんな大好きでオタクだと自分のことを思っていますが、オタクであることとは、生活(心)に余裕があるということなんだと感じました…。物は心で、オタクの集めるものは、心の一部としてあると、凄く実感しました。これは僕の感じ方で、何も所有しないでもオタクである方々もいると思うので、あくまで僕自身にとってですが、大切にしていた物がなくなると自分の心が抜けたような感じになって…。ただ、クラシック音楽は売ってないです。これ売っちゃうと、何も出来ないときに、完全に何もなくて、本当にダメになりそうなので。

色々売って二十数万円位?にはなるようです。でも不安が強くて、辛くて、調子悪いです…。

辛いけれど、僕が観鈴のことを、本当に愛しく思っている気持ちは消えない、ただ、なんか、観鈴にすまないという気持ちで一杯になって、フィクションの人々も心の中でちゃんと存在して生きているんだと感じました。心の中にいる観鈴に、ごめんね、ごめんね、って感じで、心が痛みました。

リチャード・ローティの言葉を思い出しました。僕なんかは、支えてくれる家族や友人達や支援してくださる方々いて、お医者様にもかかれて、医療費も捻出できて、みんなに助けて頂いて、まだ大丈夫ですが、僕がもっと病状が進んだり、それによって更に困窮したり、また今の僕よりも貧しい人々、いざとなったらネットもできない、本当に貧しい人たちは、どこにも繋がることもできない、世界から切り離されて真っ暗になってしまうと彼は説いています…。

人はお金がなくては話相手になることもできず、つながることもできない。お金がなければ、愛する機会もない。とても貧しい人々、ブレヒトが『暗闇に生きるものたち』と呼んだ人々には、愛したり、話をしたりする余裕はない。(中略)
私にいま提示できるのは、北の紳士・淑女が少なくとも正直でありつづけるという提案だけである。フォースターが気付かせてくれたように――愛だけでは十分ではないということ――マルクス主義者はある一点においては絶対に正しかった。すなわち『歴史の本質は、経済的なものである』ということを忘れてはならない。
(リチャード・ローティ「リベラル・ユートピアという希望」)

一度調子が悪くなると、将来への不安と辛さがどんどん膨らみ、お薬で生きている無年金障害者の救済制度を、整えて欲しいです…。僕は年金3分の2未納なのでうつ病がもしこのまま治らず、もしくは悪化して1年6ヶ月たった時点で障害等級と認められても障害基礎年金の支払われない無年金障害者となります。以前、民主党が無年金障害者全員を対象とした画期的な無年金障害者救済案を出していましたが、自民党が与党ですから、通りませんでした…。無年金障害者12万人(実際はもっといると云われています)全員を助ける無年金障害者救済案を通して欲しいです。生活保護は、家族もひどくやつれてて(僕の看病疲れだと思います)、すごく心配で、僕が負担になっていることが辛くて、とても僕のせいでこれ以上、家族に迷惑をかけられないです。パソコンを売らなかったのは、今は先月のアフィリエイト収入が、月のネットの通信費・電気代より越えているので、売りませんでした。その間、当面なんとかネットは続けられると思います。後、HDDレコーダーとTVも売らなかったので、アニメは見れます。電化製品はまだ売ってないです。アニメはコストが電気代以外かからず(NHK以外地上波無料視聴)、本当に助かります。猫とは、ずっと一緒にいたいです。

ただ、今はアニメ見る気力も無くて、アニメ見ていても、今も僕に対してされているであろう中傷の辛さが頭から離れずどんどん大きくなって、将来のこととかも不安と辛さで見ていられないんです。本当にただお薬の力で持っている感じです。眠れないから、頑張ろうと思っても頭痛がひどくて、頓服用安定剤(抗不安剤)をがぶがぶ飲んで、1日二回猫のお世話しながら、ボーっとしている感じです。行動力とか気力みたいなものが、お薬の力で持っているんですが、すぐ消えてしまう感じで…。アメリカみたいに、もっと抗うつ剤の用量あげられたらいいのになと思いました。穏やかな気持ち(抗うつ剤の作用)が、不安と辛さに負けてしまうとき、うつ病のいろんな症状がでます。新作アニメも少し見て、辛い気持ちに負けて再生止めて、うつで動けなくなってしまう状態ですが「セキレイ」だけは第一話最後まで見れました。明るくてお色気でテンポがよくてユーモラスなので、他のと比べて辛い状態でも観るのが楽でした。

以前のブログを閉じたのでアクセス数が激減していて、それがアフィリエイト収入の激減にも繋がっていて、もう絶対、ご迷惑かかるようなことしませんから、サイト・そしてこのブログどちらもリンクフリーですので、リンクして頂けるかニュースネタとして取り上げて頂けるととても助かります。大手サイトさんとか、そうして頂けましたら、本当に大きな慈悲の助けとして、感謝します。どうかお願いします。なるべくはやくこのうつ病を治すか、うつ病でも働ける職場を探して(病院のソーシャルワーカーさんとか専門ですから相談して)、なんとか生きてゆける限り頑張りたいと思います。僕の心の中にいてくれる観鈴と一緒に頑張りたいと思っています。

参考作品(amazon)
リベラル・ユートピアという希望
amazonオタクストア
amazonトップページ

2008年07月12日 20:22

アマゾンギフト券贈ってくださった方々、本当にありがとうございます。何も返せるものがなく本当に申し訳ないのですが、皆様のおかげで、これからも頑張ってゆけると思います。本当にありがとうございます。感謝の気持ちで一杯で、とても心救われました。メールアドレスの分かる方はお礼送っておりますが、ギフト券を贈って下さっている方には、ここで本当に、心から感謝の気持ちで、どうもありがとうございます。また、アフィリエイトで買って下さっている方々にも改めてお礼申し上げます。

皆様の善意に大変感謝しており、何もお返しできず、本当に申し訳ないです。ただ、皆様のご負担になっていることが、とても心配で、皆様のおかげで生活が楽になりましたが、皆様にご負担をお掛けしていることに、とても重みを感じます。ご負担をもうおかけしてしまって、善意の重みというものを深く感じております。どうか、ご支援くださる方々、ご無理をされず、どうか、皆さんにご負担かからぬよう、皆様方自身がご自愛くださいますよう、心からお願い申し上げます。また、もし僕が困っている人を見て、その時僕の力で助けられるようだったら、必ず助けて、そうやって、皆様から頂いた善意の重みを少しずつでも返していけたらと思っています。

これからも、なるべく、皆さんに楽しんでいただける文章を一生懸命書いてゆく決意です。ただ、以前はエロゲについての文章とか書いていましたが、今は、うつ病とSSRIの副作用で、性欲が全く感じられない状態で、そういう文章とかは、当分書けないかもしれません。ごめんなさい。でも、良いことを書いていきたいです。

僕はうつ病に掛かって治療に入ってから、苦しいときだけじゃなくて、楽な、穏やかな、優しい、ゆっくりした気持ちになれて心が救われるときがあって、今回はそのことを書かせていただきます。

僕はうつ病の症状が最初ひどくてSSRI(抗うつ剤)というのを今、日本の合法的な処方で、最大処方して頂いて、なんとか頭を持たせているのですが、普段は不安が非常に強く、辛い(僕に対する中傷でうつ病が発症したのですが、その後もずっと中傷されているんじゃないかとか、実際に危害を加えられるのではないか、などといった不安が頭から離れず非常に強いです)のですが、そういうときだけではなく、辛さに波がありまして、凄く和らげるときもあるんですね。SSRIというお薬の効果(脳内でセロトニンという物質を沢山出してくれます)だと思うんですが、そういう時はとても優しく、穏やかな気持ちになれるんですね。色んな欲望が消えていることが感じられて、感情も穏やかで、人間の苦しみは欲望が作り出しているという仏教の教えが、お薬で穏やかになっている僕がいうのも僭越ですが、こういう感じなのかなと思います。

そういうときは、穏やかで、欲望が薄れた感じで、人に優しくしたくなるんです。僕は、自分を衝動的・攻撃的なところがあり、そんな人として出来のいい人間ではないと思いますが、そういう今までの僕とは違う、別の僕の心境、今までの僕の心が10だとして、うつの時にその10に不安や苦悩が一杯詰まっていたような感じが、心が数では表せない、海のような気持ちになって、穏やかにして、人に優しく、世界に感謝したくなるんです。不安は消えないのですが、世界がずっと広がって、本当に世界の輝度が上がるんですね。そうすると楽になります。

僕はそうなった時、ずっとこの心境でいたい、今までみたいにピリピリした心の狭い自分ではなく、心が穏やかな海のように大きくて、世界に感謝して、人に真の意味で優しくできる、そんな今の自分のままでいたいと思います。そのとき、辛さも残っているんですけど、幸せも感じます。たとえ薬の力で変わったとしても、今までの人を傷つける攻撃性を持った僕よりも、今の穏やかで優しい自分でありたいと願っています。

だけど、ダメなんですね。あまり長続きしなくて、時間がたつとだんだん不安が押し寄せてきて、そうすると辛くなってきて、今までの僕に戻ってしまう。今までの僕に戻るということは、僕の醜い欲望とかそういったものも戻ってきたことが分かって、自分は、そういう弱さを持った人間だということを、自覚させられます。

これは僕の弱さで、それでも、皆様から、身銭を切った、本当の大切なお金を頂き、そのご好意のためにも、薬や、うつ病が治ったら薬なしでも、心が穏やかな海のような優しい人間になりたい、そういう人間になりたいと思っています。SSRIは、今までの自分とは違う穏やかな心境になるので、今までの自分がいかに愚かで攻撃的な性格の人間であったかが、穏やかな自分から、ちゃんとそれが見えるんです。そして、そうじゃない心境もあることをこのお薬に知らされました。僕は、そういった心境、穏やかで広い、苦しみもあるけれど世界に感謝して、生きていくことの人間になりたいと、思っています。皆様からの好意を、僕も広げてゆきたいと思っています。

僕はお薬を処方されても何度も何度も不安がぶりかえしてしまい、先生から僕の場合は心因性(外部に葛藤原因がある)のうつ病なので、薬だけで治すのは無理で、最初は薬物療法から始めて、それから、薬物療法とカウンセリングで治していくということで、今月か来月からカウンセリングとか受けることになると思います。いつか、必ず元気になって、そして、今までの自分に戻るのではなく、先にいった僕の弱さと戦って、そして、穏やかな感謝の海がある、優しい、今まで(うつ病になる前)と違った人間になりたいと思っています。

僕の文章も変わってゆくと思いますが、僕が皆さんにご提供できるものはこの文章しかなく、心を一杯込めて、皆さんが読んで心が優しくなってもらえるような、そんな文章を書きたいと思っています。今後とも、ずっと感謝します。

皆様のおかげで楽になりました。本当に感謝します。これからも、ずっと、一生です。

今日もPM10:00に薬を飲んで布団に入ったのですが、やはりなかなか眠れず起き出して来てしまいました。ただ、昨日より、少し不安感が薄れています。不眠ですけど少し楽になりました。ありがとうございます。それは、本当に支えてくださる皆様の善意のおかげです。強い不安感や辛いことを思い出させること、どうしても思い出すとお腹が痛くなってしまうんですが、それでも、なんとか、支えてくれる人々の助けが押さえ込んでくれています。本当にありがとうございます。凄く感謝しています。不眠と辛いのは重なってくるから、きついのですが、皆様の善意で、きつさが和らげられていると感じます。

うつの辛さが調子悪くて行動がほとんどできないので、音楽を聴いていたんですが、以前も書きましたが、音楽の趣味が変わっていることに驚きました。無気力感がひどくて、寝床でずっと辛いことがリフレインしたりするときは、クラシック音楽を聴くとほん少しだけ気分が楽になるので、今日はずっと「100曲クラシック」(これもいい演奏です)聴いていたんですが、以前は若い頃のモーツァルトの高揚した感じのメヌエットとか好きで、モーツァルトが大好きだったんですが、今はモーツァルトより、ショパンの均整の取れた静かなピアノ曲がとても美しいなと感じます。

また、図書館で借りてあまり辛くない時に少しずつ読んでいた山本おさむ「わが指のオーケストラ」という漫画を読了しました。聴覚障害者の方々とそれを支える支援者(教育者さんや親御さんや優しい人々)の方々が、様々な辛い苦難(差別・貧困・弾圧)の中をそれでも明日への希望を持って一生懸命に歩み続ける漫画で、私自身も、辛いことがあって、病気(うつ病)になって、仕事も失って、今も病状が一進一退で、生活も困窮していて、どうしても、自分と障害者の方々の登場人物さん達を重ね合わせて読んでしまいました。障害としては種類は違いますが、それでも、他人事とは思えなくて、胸がとても静かに優しく打たれる感じの素敵な漫画でした。本当に良い本です。お勧めです。関東大震災で、朝鮮の人々とともに聾唖者の人々が虐殺されていたこと、この漫画読むまで知りませんでした。ショックでした。でも、それでも、凄い苦難の中でハンディキャップを負いながら、一生懸命優しく支えあいながら歩み続ける人々の話で、読んで本当に良かったと思える作品でした。とてもお勧めです。

高橋清先生(手話で語る)
どんな事があっても誰も聾唖者から
手話を取り上げる事はできない
松江…一作…君たちは知っているはずだ
君たちは米騒動を見た
関東大震災で朝鮮人や聾唖者が殺されるのを見た
そして口話万能主義が手話を駆逐するのをみた
この時代の流れ(弱肉強食)は大きく強い流れだ
だが我々は この流れのなかで強者であるよりも
弱者であることをよしとしようじゃないか
少数者にくみすることをよしとしようじゃないか
5年後かもしれない 10年後…
いやもっと遠い未来かもしれない
歴史の中で虐げられた人々のなかに
共通な思いが生まれるだろう
すべての人々の幸福を
心から願う健全な思想が生まれるだろう…
そういう日がくるまで……
私が倒れたら君たちが…
君たちが倒れたら君たちの子供が…
(山本おさむ「わが指のオーケストラ」)

本当に大切なものは、人を思いやる優しい心と心の繋がりだということを一生懸命描いている漫画でした。私も、家族、友人、お医者様達、そして支援してくださる人々の善意で命を支えられていて、本当にそう思います。人は一人で生きているのではなく、人を思いやる優しい心と心の繋がりが一番大切なものとして感じられます。こういった大切なものをもっと広げていって欲しいと心から思います。
参考作品(amazon)
わが指のオーケストラ (1)
わが指のオーケストラ (2)
わが指のオーケストラ (3)
わが指のオーケストラ (4)
100曲クラシック

2008年07月11日 17:09

今、どうやって、助けてもらった方々に恩返しをするか考えていました。今の僕には何にもないので、後は文章を書くことぐらいしかなく、本とか売っちゃう前に本についてどうしても書いてきたいなと思っていることを書いたりして、今の僕が書く文章はどうしてもあまり明るくは書けませんが、それでも、一生懸命書いていきたいと思います。少しでもお役立てできれば幸いです。

手塚治虫さんの作品で、一際特異な作品と僕が考えているものに「ばるぼら」と「人間昆虫記」という二つの物語がありまして、これは手塚さんの物語仕立てにした芸術論ではないかと昔から考えておりました。ばるぼらはムーサの女神であるヒロイン(この女神様、性格は気まぐれな猫そのもので、猫好きにもお勧めです)に見込まれた芸術家が、そのことにより芸術家として救われ、そして破滅してゆくが、自らの作品は創り上げ残してゆくという、ある種の救いのある物語で、こちらの方はユーモアとヒューマニティもあって、芸術論としてではなく、普通の手塚漫画としても読める作品ですが、人間昆虫記は「ばるぼら」と比べても極めて特異な作品です。

人間昆虫記のヒロインは手塚さんの作品における極めて特異なタイプ、つまりタイプ(類型)を持たない存在、ミメーシス(模倣)の化身として描かれていて、様々な登場人物達を模倣し、その性格・才能を模倣し、模倣された登場人物達はみなヒロインに全てを奪われ破滅していくんですね。ただ模倣された作品だけは残る。手塚さんは一般的にヒューマニストということになっていますが、この二作品から感じることは、これは手塚さんの芸術論としての物語であり、そこにおいては、人間ではなく、芸術至上主義がとられているということ、どうしても感じずにはおられません。

両作品に通ずるのは、非常に儚い人間達の脆く消えてゆく存在性の無常と、それと同じように消費され消えていくであろう芸術の無常。ただ、ばるぼらでは、たとえ作者がどうなろうとも、芸術が人の寿命を越えて残る可能性に僅かな救いを持たせています。

たぶん彼の行方は永久にわかるまい だが彼の作品は永久に残るのだ。
(手塚治虫「ばるぼら」)

ただこれが、人間昆虫記ではもっと突き放した形になっています。人間昆虫記では「美(芸術の創造)」=「模倣」=「ヒロイン」という形になっており、特別な価値があるとみなされるもの(そこには一般的な美的価値・芸術だけでなく、人間それ自体の存在まで入ってしまう)をヒロインは全て完璧に模倣し、模倣された人々の作品を自分の作品とし、模倣された人々を破滅させながら芸術分野に留まらず次々とあらゆる分野に多彩な活躍をしていく、まさに、美の化身そのもののような女性がヒロインで、そして、美は孤独なんですね。

それは、純粋な美であるゆえに、他との繋がりを模倣するという形でしか繋ぐことが出来ないゆえに。ここに、手塚さんの非常にシビアな芸術論を見て取ることができると僕は考えます。つまり、芸術は全て模倣と組み合わせであるという、ある種の芸術限界論的な視野があるのだと思います。それが、模倣の女神である、芸術的には多彩な大成功を収めているヒロインの悲劇的な孤独に繋がると考えます。

また、彼女が模倣(それはほとんど盗作といっていいものです。彼女は完全に模倣できるうえ、模倣する人物の作品を奪い取ることを躊躇しません)によって芸術的には多彩な大成功を収めているというのも、ばるぼらと読み比べるとわかりますが、非常な皮肉です。「ばるぼら」における芸術を鑑賞する立場(ばるぼらでは超越的な芸術の女神ムネーモシュネーと娘がそれを果たします)から人間を見れば、Aという作品を創ったのがBだろうがCだろうが、純粋に芸術を鑑賞する立場にとっては、なんの変わりもないという、俗世から一切から切り離された孤独な、何とも繋がらない美の悲劇、純粋芸術審美主義の哀しみを手塚さんはこの二作品で描いているのだと思います。非常に芸術論として優れている漫画(勿論、漫画としての出来栄えも抜群です)でお勧めの作品です。

人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)
ばるぼら (1) (手塚治虫漫画全集 (145))
ばるぼら (2) (手塚治虫漫画全集 (146))

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