坂口安吾「桜の森の満開の下」(講談社文芸文庫)
近藤ようこ「桜の森の満開の下」(ビッグコミックススペシャル)
文学作品をアニメ化するシリーズ「青い文学」の第二弾「桜の森の満開の下」視聴。大人の鑑賞に耐え得る作品として力を入れて作られていたアニメ化第一弾「人間失格」に比べると、今回は明らかに萌えアニメ好き向けの安易な萌えアニメという感じに作られていて、萌えの為に原作の重要な部分が削られていますね…。「人間失格」の出来が非常に良かっただけあって、人間失格以上に小説として好きな坂口安吾「桜の森の満開の下」のアニメ化、期待していたのですが、この出来だととても残念な気持ちです…。
本気で小説世界の再構築を目指した、製作スタッフが原作と本気で向き合い作品を作っていた「人間失格」と、今回の「桜の森の満開の下」は全然違いますね…。今回は既存のアニメ作品の土台の上に乗って非常に安易に作られている出来なんですね。「人間失格」のアニメは「人間失格」のアニメ単体として独立して見られる出来でしたが、本作は「少年漫画と萌えアニメのお約束を使って原作を適当にアレンジした。メインは少年漫画と萌えアニメのパターンに過ぎず、原作は単なるネタ」という感じで、原作と全然違う、原作ファンを蔑ろにしたアニメ作品を見たときのがっかり感を強く感じます…。本作の原作はとても読みやすく、青空文庫で公開されているので、ぜひ一読お勧めします。アニメとは全く違う世界観です。「人間失格」のアニメは製作側に原作への思いいれを感じましたが、今回のアニメ化は原作蔑ろ、非常に残念です…。
青空文庫「桜の森の満開の下」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42618_21410.html
この原作を読んで、一体どこから、「作中の『女』を水樹奈々声でキャピキャピする萌えオタクに媚びたあざとい萌えアニメ風ヒロインキャラにしよう。萌えに合わない部分はカットしよう」などという、原作無視の酷い発想が出てくるのか…。原作が好きな僕にとってあんまりな展開です…。特に酷いのが、原作で非常に重要とされている、『女』が『男』に苦笑するシーンを、完全に削っているところですね。『女』を萌えキャラにしたから、萌えに相応しくない要素は排除するということなんだと思いますが、もうこれは完全に原作台無しだと思いました。萌えアニメを作りたいなら、オリジナルで作ればいいじゃないですか…。折角のアニメ化が萌えアニメ化されて台無しなんて、酷く無念です…。下記のシーン、原作作中で非常に重要なところですし、萌えアニメにして逃げるのではなく、ちゃんとアニメ化して欲しかったです…。
ここで女が男を軽蔑して苦笑するシーンが、クライマックスでの、桜の下で女が男の首を締め、男が女を殺す幻想的な展開に繋がっている訳です。上記のシーンを抜いてしまったら、クライマックスの幻想的シーンの重要なファクターが抜けてしまいます…。
「女は苦笑しました。男は苦笑というものを始めて見ました。そんな意地の悪い笑いを彼は今まで知らなかったのでした。そしてそれを彼は「意地の悪い」という風には判断せずに、刀で斬っても斬れないように、と判断しました。その証拠には、苦笑は彼の頭にハンを捺したように刻みつけられてしまったからです。」が、後半の「彼はふと女の手が冷めたくなっているのに気がつきました。俄に不安になりました。とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。突然どッという冷めたい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。」に繋がっているんですね…。前半と後半を繋ぐ非常に重要なファクターを、「女を萌えキャラとして描く」為にカットしちゃうような、萌えに阿って原作を蔑ろにする展開は、本当に無念です…。
「桜の森の満開の下」はもう諦めたので、今後のアニメ化、夏目漱石の「こころ」や芥川龍之介の「地獄変」は、きちんと原作を重んじたアニメ化を行って欲しいです。アニメヒロインをなんでも安易な萌えキャラ化して、人間としての影の部分、負の部分の描写を避けるのは、あざとくて、見ている方は製作側に甘く見られて馬鹿にされている心持になって非常に不快だということを、安易になんでも萌えネタにする製作スタッフはちゃんと考えるべきです。「桜の森の満開の下」の『女』が、萌えデフォルメされてキャピキャピするシーンでは原作・原作読者・本アニメの視聴者を馬鹿にしているという感じがひしひしと伝わり、本当に気分が悪くなりました…。製作者が視聴者を舐めていることをあからさまに出す作品は、作品として本当にダメダメですよ…。この作品に限らず最近の萌えアニメは製作者が視聴者を馬鹿にしている作品、多すぎると思いますね…。
僕の好きな漫画家に近藤ようこさんというお方がいらっしゃるのですが、この方が書かれた漫画版「桜の森の満開の下」は素晴らしい出来でした。原作をきちんと読んで、それを自分のなかでしっかり昇華させて描いていらっしゃる。この漫画は非常にお勧めです。原作で描かれる外なるもの「美」と裡なるもの「欲望」の落差が見事に描けている。近藤ようこさんの「桜の森の満開の下」が気に入ったお方々には、同作者の漫画「水鏡綺譚」もぜひ一読お勧めです。「桜の森の満開の下」の幻想的な雰囲気を持っている、平安時代を舞台にした見事な漫画です。「水鏡綺譚」の第二話「花のかんばせ」は「桜の森の満開の下」のオマージュで、桜の森の満開の下の『女(欲望の化身としての女)』がこの作品では『男(欲望の化身としての男)』になっているところが、女性漫画家らしい見事な視点の切り替えで優れた作品です。
参考作品(amazon)
坂口安吾「桜の森の満開の下」(講談社文芸文庫)
近藤ようこ「桜の森の満開の下」(ビッグコミックススペシャル)
近藤ようこ「水鏡綺譚」
青い文学シリーズ 人間失格 第1巻 [DVD]
青い文学シリーズ 人間失格 第2巻 [DVD]
青い文学シリーズ 人間失格 第1巻 (Blu-ray Disc)
アニメ総合一覧
amazonオタクストア
amazonトップページ
近藤ようこ「桜の森の満開の下」(ビッグコミックススペシャル)
文学作品をアニメ化するシリーズ「青い文学」の第二弾「桜の森の満開の下」視聴。大人の鑑賞に耐え得る作品として力を入れて作られていたアニメ化第一弾「人間失格」に比べると、今回は明らかに萌えアニメ好き向けの安易な萌えアニメという感じに作られていて、萌えの為に原作の重要な部分が削られていますね…。「人間失格」の出来が非常に良かっただけあって、人間失格以上に小説として好きな坂口安吾「桜の森の満開の下」のアニメ化、期待していたのですが、この出来だととても残念な気持ちです…。
本気で小説世界の再構築を目指した、製作スタッフが原作と本気で向き合い作品を作っていた「人間失格」と、今回の「桜の森の満開の下」は全然違いますね…。今回は既存のアニメ作品の土台の上に乗って非常に安易に作られている出来なんですね。「人間失格」のアニメは「人間失格」のアニメ単体として独立して見られる出来でしたが、本作は「少年漫画と萌えアニメのお約束を使って原作を適当にアレンジした。メインは少年漫画と萌えアニメのパターンに過ぎず、原作は単なるネタ」という感じで、原作と全然違う、原作ファンを蔑ろにしたアニメ作品を見たときのがっかり感を強く感じます…。本作の原作はとても読みやすく、青空文庫で公開されているので、ぜひ一読お勧めします。アニメとは全く違う世界観です。「人間失格」のアニメは製作側に原作への思いいれを感じましたが、今回のアニメ化は原作蔑ろ、非常に残念です…。
青空文庫「桜の森の満開の下」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42618_21410.html
この原作を読んで、一体どこから、「作中の『女』を水樹奈々声でキャピキャピする萌えオタクに媚びたあざとい萌えアニメ風ヒロインキャラにしよう。萌えに合わない部分はカットしよう」などという、原作無視の酷い発想が出てくるのか…。原作が好きな僕にとってあんまりな展開です…。特に酷いのが、原作で非常に重要とされている、『女』が『男』に苦笑するシーンを、完全に削っているところですね。『女』を萌えキャラにしたから、萌えに相応しくない要素は排除するということなんだと思いますが、もうこれは完全に原作台無しだと思いました。萌えアニメを作りたいなら、オリジナルで作ればいいじゃないですか…。折角のアニメ化が萌えアニメ化されて台無しなんて、酷く無念です…。下記のシーン、原作作中で非常に重要なところですし、萌えアニメにして逃げるのではなく、ちゃんとアニメ化して欲しかったです…。
二日か三日の後に森の満開が訪れようとしていました。今年こそ、彼は決意していました。桜の森の花ざかりのまんなかで、身動きもせずジッと坐っていてみせる。彼は毎日ひそかに桜の森へでかけて蕾のふくらみをはかっていました。あと三日、彼は出発を急ぐ女に言いました。
「お前に支度の面倒があるものかね」と女は眉をよせました。「じらさないでおくれ。都が私をよんでいるのだよ」
「それでも約束があるからね」
「お前がかえ。この山奥に約束した誰がいるのさ」
「それは誰もいないけれども、ね。けれども、約束があるのだよ」
「それはマア珍しいことがあるものだねえ。誰もいなくって誰と約束するのだえ」
男は嘘がつけなくなりました。
「桜の花が咲くのだよ」
「桜の花と約束したのかえ」
「桜の花が咲くから、それを見てから出掛けなければならないのだよ」
「どういうわけで」
「桜の森の下へ行ってみなければならないからだよ」
「だから、なぜ行って見なければならないのよ」
「花が咲くからだよ」
「花が咲くから、なぜさ」
「花の下は冷めたい風がはりつめているからだよ」
「花の下にかえ」
「花の下は涯がないからだよ」
「花の下がかえ」
男は分らなくなってクシャクシャしました。
「私も花の下へ連れて行っておくれ」
「それは、だめだ」
男はキッパリ言いました。
「一人でなくちゃ、だめなんだ」
女は苦笑しました。
男は苦笑というものを始めて見ました。そんな意地の悪い笑いを彼は今まで知らなかったのでした。そしてそれを彼は「意地の悪い」という風には判断せずに、刀で斬っても斬れないように、と判断しました。その証拠には、苦笑は彼の頭にハンを捺したように刻みつけられてしまったからです。それは刀の刃のように思いだすたびにチクチク頭をきりました。そして彼がそれを斬ることはできないのでした。
三日目がきました。
彼はひそかに出かけました。桜の森は満開でした。一足ふみこむとき、彼は女の苦笑を思いだしました。それは今までに覚えのない鋭さで頭を斬りました。それだけでもう彼は混乱していました。花の下の冷めたさは涯のない四方からドッと押し寄せてきました。彼の身体は忽ちその風に吹きさらされて透明になり、四方の風はゴウゴウと吹き通り、すでに風だけがはりつめているのでした。彼の声のみが叫びました。彼は走りました。何という虚空でしょう。彼は泣き、祈り、もがき、ただ逃げ去ろうとしていました。そして、花の下をぬけだしたことが分ったとき、夢の中から我にかえった同じ気持を見出しました。夢と違っていることは、本当に息も絶え絶えになっている身の苦しさでありました。
(坂口安吾「桜の森の満開の下」)
ここで女が男を軽蔑して苦笑するシーンが、クライマックスでの、桜の下で女が男の首を締め、男が女を殺す幻想的な展開に繋がっている訳です。上記のシーンを抜いてしまったら、クライマックスの幻想的シーンの重要なファクターが抜けてしまいます…。
男は満開の花の下へ歩きこみました。あたりはひっそりと、だんだん冷めたくなるようでした。彼はふと女の手が冷めたくなっているのに気がつきました。俄に不安になりました。とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。突然どッという冷めたい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。
男の背中にしがみついているのは、全身が紫色の顔の大きな老婆でした。その口は耳までさけ、ちぢくれた髪の毛は緑でした。男は走りました。振り落そうとしました。鬼の手に力がこもり彼の喉にくいこみました。彼の目は見えなくなろうとしました。彼は夢中でした。全身の力をこめて鬼の手をゆるめました。その手の隙間から首をぬくと、背中をすべって、どさりと鬼は落ちました。今度は彼が鬼に組みつく番でした。鬼の首をしめました。そして彼がふと気付いたとき、彼は全身の力をこめて女の首をしめつけ、そして女はすでに息絶えていました。
彼の目は霞んでいました。彼はより大きく目を見開くことを試みましたが、それによって視覚が戻ってきたように感じることができませんでした。なぜなら、彼のしめ殺したのはさっきと変らず矢張り女で、同じ女の屍体がそこに在るばかりだからでありました。
(坂口安吾「桜の森の満開の下」)
「女は苦笑しました。男は苦笑というものを始めて見ました。そんな意地の悪い笑いを彼は今まで知らなかったのでした。そしてそれを彼は「意地の悪い」という風には判断せずに、刀で斬っても斬れないように、と判断しました。その証拠には、苦笑は彼の頭にハンを捺したように刻みつけられてしまったからです。」が、後半の「彼はふと女の手が冷めたくなっているのに気がつきました。俄に不安になりました。とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。突然どッという冷めたい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。」に繋がっているんですね…。前半と後半を繋ぐ非常に重要なファクターを、「女を萌えキャラとして描く」為にカットしちゃうような、萌えに阿って原作を蔑ろにする展開は、本当に無念です…。
「桜の森の満開の下」はもう諦めたので、今後のアニメ化、夏目漱石の「こころ」や芥川龍之介の「地獄変」は、きちんと原作を重んじたアニメ化を行って欲しいです。アニメヒロインをなんでも安易な萌えキャラ化して、人間としての影の部分、負の部分の描写を避けるのは、あざとくて、見ている方は製作側に甘く見られて馬鹿にされている心持になって非常に不快だということを、安易になんでも萌えネタにする製作スタッフはちゃんと考えるべきです。「桜の森の満開の下」の『女』が、萌えデフォルメされてキャピキャピするシーンでは原作・原作読者・本アニメの視聴者を馬鹿にしているという感じがひしひしと伝わり、本当に気分が悪くなりました…。製作者が視聴者を舐めていることをあからさまに出す作品は、作品として本当にダメダメですよ…。この作品に限らず最近の萌えアニメは製作者が視聴者を馬鹿にしている作品、多すぎると思いますね…。
内心では(クリエイターは)客を馬鹿にしていてもいい。ただ、客を馬鹿にしていることが見え見えなギャルゲーしか作れないようなら、馬鹿にすることをやめるか、ギャルゲーを作ることを止めるべきだ。つまりは、プレイヤーに馬鹿にしていることを簡単に見透かされるような作品は、そもそもその程度の出来でしかないということだ。作り手のスキルの低さの、プロ意識の欠如のせいで透かし見れる程度の底の浅さでしかない。(中略)馬鹿とは、馬鹿にしている相手に馬鹿にしていることを悟られる奴のことなのだ。
(阿部広樹。「超クソゲー2」)
僕の好きな漫画家に近藤ようこさんというお方がいらっしゃるのですが、この方が書かれた漫画版「桜の森の満開の下」は素晴らしい出来でした。原作をきちんと読んで、それを自分のなかでしっかり昇華させて描いていらっしゃる。この漫画は非常にお勧めです。原作で描かれる外なるもの「美」と裡なるもの「欲望」の落差が見事に描けている。近藤ようこさんの「桜の森の満開の下」が気に入ったお方々には、同作者の漫画「水鏡綺譚」もぜひ一読お勧めです。「桜の森の満開の下」の幻想的な雰囲気を持っている、平安時代を舞台にした見事な漫画です。「水鏡綺譚」の第二話「花のかんばせ」は「桜の森の満開の下」のオマージュで、桜の森の満開の下の『女(欲望の化身としての女)』がこの作品では『男(欲望の化身としての男)』になっているところが、女性漫画家らしい見事な視点の切り替えで優れた作品です。
参考作品(amazon)
坂口安吾「桜の森の満開の下」(講談社文芸文庫)
近藤ようこ「桜の森の満開の下」(ビッグコミックススペシャル)
近藤ようこ「水鏡綺譚」
青い文学シリーズ 人間失格 第1巻 [DVD]
青い文学シリーズ 人間失格 第2巻 [DVD]
青い文学シリーズ 人間失格 第1巻 (Blu-ray Disc)
アニメ総合一覧
amazonオタクストア
amazonトップページ





